五日目の 「MA」 は、「魂」 と 「肉体」 の 「マ」。
我々人間の歴史は何千年もの間、自分の精神、魂、意識といったものはからだの中にある、と考えてきた。 しかし、決してそうではない。 精神的なものや魂や意識を自分の肉体的な側面から体験しているときに 「このからだの中にある」 と感じてしまうようだ。
我々は、いろんな物事を 「段階」 という形で考えてしまう。 違う段階、違うレベルに分けて考えているのだ。 それだから、違うレベルに意識を持っていったときには、「肉体から抜けた」 と思ってしまうのだろう。
本当のことを言うと、我々の魂は肉体の中にあるのではない。 また、肉体というのは魂の物理次元であって、三次元空間の中に見えている一部分なのである。 魂の三次元レベルでの表現形態が肉体というものだ。
魂が肉体を離れるということも、三次元空間での幻想といえる。 段階やレベルというような、物事を分離して考えているときには、このようなことが起こる。 そして魂と肉体のマが意識であり、その意識も、肉体の中にはなく、肉体が意識の中にある。
それがどんなものであっても、我々が外側に見ているものはすべて、実際には自分の中で実現したものなのである。 物理次元に存在するすべてのものは、我々の意識によって創りあげられている。 この現実世界で見るいろいろな物・人・場所、それらすべてが自分の意識というマで創りあげられた 「我々流」 のものである。
このような見方をしていくと、自分は個人でありながら、実際には他の人ともつながってひとつである、という結論にたどり着く。 自分自身が他の人と離れていて個人だということも、やはり幻想にすぎない。 自分が見るものはすべて自分が創りだしたものであり、自分自身がすべてであるということになる。
逆説的に聞こえるかも知れないが、これは各個人に対して真実以外の何ものでもない。 違うように見えるものすべては、無限のものの一側面でしかないのである。