東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

MA KOTO。

おはようございます。

 

昨日は、境界線ということで書きましたが、自分自身の中にも思いやりの境界線は引く必要があると思うんですね。自分と自身は一心同体だからといって、からだは自分のものとばかりに、自分の考えばかりを押し付けようとしていてはいけませんよね。

からだも尊重した上での一心同体、身心一如。そして、時間、空間の環境、自然環境に生かされて生きている。そういう意識づけは必要だと思います。

 

特に治療家と呼ばれる人達には、そういう意識は必要だと思います。ややもすると「私が治してやるんだ」とばかりに、受療者のからだに対して自分の考え、テクニック、技術ばかりを押し付けようとしてしまう。熱心なのは良いのですが、過干渉という事ですね。

治すのは紛れもなく、からだなのですから。そのへんを踏まえて、これ以上干渉しないという、思いやりをもった境界線を引く必要があると思います。

 

操体の創始者、橋本敬三先生は「治す事まで関与するな、治すのはからだに、おまかせすればいい」ということを、事あるごとに言われていたそうです。正にそうだと思います。

治すのは紛れもなく、からだであり、その為には時間、空間の関りを考慮して、からだに対する思いやりを持つ事が大切だと思います。

健康傾斜の歪体化が進んでしまい、症状、疾患が重篤化している程、回復には時間の間が長くなるのは仕方のない事だと思います。それを、すぐに治してやろうとしても、かえって拗らせてしまいます。

 

だからといって、手をこまねいているわけにもいきません。空間のかかわりにも配慮するという事。ここに自然法則の応用貢献である操体臨床の真価があると感じます。

重力をはじめとする自然環境に、より良く適応できるように導く、そのような本来持っている生命の記憶を蘇らせる。自然環境に順応することは生命体の使命であるわけですから、その要求に応えてあげるようにするという事。

その要求を元に、負担をかける事なく最小エネルギーで、より良くからだが治しをつけてくるよう、からだのお手伝いをする。これが治す事よりも、善くなる理だと思います。時、空の間をとおして真事をしているのですね。

 

橋本敬三先生は著書の中で、「私も医者になりかけの若いときは、病気を治したいの一心だったが、だんだんそんなことは下の下だと思うようになった。医者が治してやるということでなく、生命体の成立の哲学に触れ、大自然を畏敬し、恭順すべきことが、はっきりした」という事も書かれています。