東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

可能性3・・・耳順う2

おはようございます。

 

昨日、孔子の「六十にして耳順う」という言葉の意味を考えながら書いていて、そういえば、と思い浮かんだことがありました。

 

操体創始者橋本敬三先生の温古堂先生語録には、こうあります。

「昔から色々な治療法はたくさんある。これだと思って優越感をもって威張る。その人は、それ以上の進歩はない。自分なんて、ほんのちっぽけな1人の人間でしかないのだ。もっともっと色んな事を知っている人がたくさん居るのだ。それらを吸収して治療に役立てればよい。ただし、気持ちが良い事ならばである。何か知っていそうな人がいたら、何も知らないつもりで、その人の話しを聞いたらよい。自分の勉強になる。そして人のためになる」

 

こうした語録が残されているように、創始者は医師でありながら、現代医学にとらわれずに、鍼、灸をはじめ様々な療法からも学んだ人だったと聞きます。

当時の医師というのは、今よりも社会的ステータスが格段に高かったようです。ですが、そこに胡坐をかき、威張っていたのでは誰も教えてくれない。頭を下げ、謙虚に教えを請い、話を聞いていたようです。

他人から話を聞くことで、可能性はひろがる。しかし、様々な療法の技術、テクニックを学び、それがすぐにものになるほど、手技療法の世界は甘いものではないと思います。
また、単に技術、テクニックの良いとこどりをしたものに価値があるとは思えない。

創始者は、そういう観点ではなく、それらすべてに一貫してつうじる真理を学んでいた。真理が大切。その真理が人のためになる可能性をひろげる。

 

創始者の、他の療法の人たちに聞く態度。そこには見下すとか、技術やテクニックを搾取してやろうとか、そういった気持ちはなかったと思います。

同じように真理を探究する者として敬意をもって接していた。

昭和12年の「漢方と漢薬」誌に載った「力学的医学の構想」の中に、この様なことが書かれています。

「私は思う、世間は広いと。そして驚くべき天才・篤学の士たちが、それぞれ隠れたところで心血を注いで精進しておられるのを見るのである。医師の免許証の有無にかかわらない」


耳順う。素直に聞けるようになるには、素直に認める事も大切。

 

f:id:tokyo_sotai:20180913095623j:plain