そんな感じで、小学校低学年で、可能性が信じられないとか、自己肯定力が低くなりそうな経験をしてきたわけですが、私が逃げたのは「本を読むこと」でした。
というか、もともと本は大好きだったので、布団にもぐって本をこっそり読む、それが多分私にできた唯一「反抗」だったのかなと思います。
今では、近視は遺伝であるという説が一般的です。私の父の家系は(父は強度の近眼でした)近眼と目が良い人が半々くらいでしたが、私の視力の低下が分かった時、父親の怒りようは恐ろしいものでした。
私は「近眼になる可能性」があったのです。
「こいつは目が悪くなって、メガネをかけなきゃならないなんて、なんてみっともない」「こいつは目が悪くなってメガネをかけてみっともない」と、親戚が来れば言うし、お客が来れば言うという有様で、お客がくる度に「みっともない」と言われるのは苦痛でした。
また、小学校一年から三年生辺りの頃、父親によく後ろから殴られたことを思い出したのです。
例えば一緒に出かけると「歩くのが遅い」と後ろから不意打ちで頭を殴られるのです。
殴ると言っても、倒れたりダメージがある程度ではないのですが、家族で出かけると、いつ後ろから父にぶたれるのか、怯えながら歩いていたのを思い出しました。
おお、小学低学年の私って、怯えまくっていていつも父親が怖かったんだな。
そして、当時は体調もあまり良くないし、よく頭が痛かったことも思い出しました。
常に父親に怒鳴られないかとか殴られないかとか、ビクビクしていたので、緊張もしているので、トイレが近かったりとか(今ならわかりますが、緊張すると膀胱も硬くなるのです)。
完璧に「嫉妬で潰されている」状態だったのですね。
しかし、その後、親も娘を「みっともない」というのに嫌気がさしたのか、私は小学校6年の時に、コンタクトレンズに変えました。
そして、その時に「人生を変えた音楽(ロック)」に出会い、中学は近所の公立ではなく、女子大の付属中学校に入ったのです。
コンタクトに変えて学校も全く別のところに行くことになり、音楽(KISS、Queen、Aerosmithあたりとか、パンクとか)に夢中になったり、ヨガにも興味が湧いて、色々試していました。
この時に読んでいたのが「こんにちわ 私のヨガ」という本ですが(30年後くらいに、著者の内藤景代先生とお会いすることができました。内藤先生は沖正弘先生に師事されており、三浦先生とも何度か会ったことがあるそうです)
この本に掲載されていたのが「般若心経はレット・イット・ビーである」というコラムと「般若心経」でした。
そして、高校二年の時、出会ったのが「東洋体育の本」(別冊宝島)に載っていた「操体法」の紹介でした。
次に「操体」に出会ったののが「操体法治療室」でした。
これが、新たな可能性の始まりです。