先日のフォーラムで、三浦先生が、実行委員の香(こう)さんが、患者として初めて来院した時の話をした。
これは仲間内では結構有名な話なのだが、震災後、彼女は色々な治療を受けた。
そこで「壊される」という経験をした。
三浦先生のところに初診で訪れた際、彼女は「触れないで治療して欲しい」と言った(そうである)。
三浦先生は「ついにそういう(触れない)臨床をやる時が来たか」という感じで、今までやってきたことを「仕様修正」して治療にあたった。
「からだ」は触れなくとも反応した。
最近でこそ「気功はインチキだ」という人はあまりいないが、20年くらい前は、「見えないものはインチキである」という人が結構いた。
見えないもの、というとまず私が思い出すのは「妖怪」の類である。
私は子供の頃から、「ゲゲゲの鬼太郎」とか、水木しげる先生ものが好きだったのだ。
今、第六シーズンをテレビでやっている。私はテレビは見ないが、dTVで見ている。
エンディングのテーマで「みえんけれどもおるんだよ」という歌が流れる。
高度成長の時代は「モノ」の時代だった。
見えないものはみえないし、そんなの存在しない。
しかし、1990年代の終わり頃から、精神世界や目に見えない世界を語る人が増え始めた。
そして、地下鉄サリン事件後は、世の中からスピリチュアル的なものが消えた。
しかし、また「目に見えない世界」「心の世界」がもどって来つつある。
さて、触れずに患者のからだが反応し、治癒に至るというこの常識を疑うようなこと。
それが、操体法の第三分析である。
常識をくつがえしているのは、第五分析だが、第五分析については、三浦先生にお譲りしようと思う。