ちなみに、全国大会当日、1999年10月10日、「哲学する操体 快からのメッセージ」が出版されました。
私は早速会場で買い求め、会場の端っこ(何故か端っこだった)に座っていた三浦先生を目ざとく見つけ、サインしてもらったのを覚えています。
そんなことをきっかけに、三浦先生の治療所で臨床を見せて頂きましたが、一番ショッキングだったのは、第二分析を目の当たりにした時でした。
「三浦先生の操体臨床では、患者が舞を舞うようである」という話を聞いたことがありましたが、私が見たのは、まさに舞を舞っているような患者さんの姿と「若い頃に行った○○高原のイメージが見える」というような、「楽な方に動かして、ためて、ストン」とは、次元の違う操体が繰り広げられていたのです。
その時、私が今やっている操体は「きもちのよさ」とか「快方」とは言っているものの、本当は、単に楽な方にやっているだけじゃん!ということに更に気がついてしまったのでした。
こうなると「ためて、ストン」はイヤになってきます。
そして、猛烈にイヤになってきます。
といっても当時の私はすでに受講生を抱えていました。
一緒にやっていた人(元夫)は、「今更三浦先生に習うことなんてない」と言い、私が三浦先生の講習を受けるなんということは、許さないということになりました。
他の受講生も含め、第二分析(当時はまだそのようには言っていなかった)を私に見せて、興味を誘った三浦先生をワルモノにしようとしました。
この辺りは色々ありましたが、私が決めたのは、離婚して、三浦先生に弟子入りすることでした。
真似しろとは言いませんが(笑)、それくらいの覚悟は持てと。
ちなみに、私が「シングル」に戻った理由はもう一つあります。
「○○さんのオクサン」は、まっぴらごめんだったのです。
当時は夫婦でやっていたわけですが、私のほうが操体を知ったのは早く、手技療法の世界に入ったのも私が先で、院長も私でした。
しかし、どうしても「ダンナ様が操体をやったから奥さんも続いたの?」とか(私が院長なんですけど笑)、そういうことばかり言われるわけです。
夫唱婦随なんてまっぴらです(笑)。く
本も私が出しているんですよ(笑)
まあ、問題は勿論そんなに単純ではないのですが、色々巻き込まれたりして「我慢できない。畠山に戻らないと気が狂うか死ぬかもしれない」と思ったり、まあ、大変でしたが、それがクリアになりました。
今まで積み上げてきたものを手放すことにはなりましたが、その代わりに私が得たのは、新たなる操体の世界だったのです。
何か新しいものを手に入れるには、古いものを手放さなければならないのです。
今年も操体マンダラ、海の日に開催致します。
※「操体マンダラ」とは?
三浦寛が一日、操体の最新情報について語る、操体三昧の一日です。 弟子一同にとっては「師匠孝行する日」。
昼食会 サイン色紙&ツーショット撮影会
足趾の操法®アドバイザー認定
開催日時:2019年7月15日(月)海の日 10時〜21時 ルーテル市ヶ谷センター
★予約制で、当日の参加受付はありません。ご注意下さい