東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

表裏「いったい」について⑤

ゆっくり味わうこと、それはトイレの「間」。

なのでトイレ話を続けてしまうけれど、食事中ならば申し訳ない。

 

 

以前、三浦理事長からトイレ掃除について、含蓄ある実践語りを聞いた。

 

自分の使っている便器。

便器は汚いモノだろうか、と。

そりゃそうだろう、と考えた後『なぜ汚いって考えるのか』を考察した。

 

三浦理事長は、自分の中に入っている間は『汚い』なんて思わないのに、

なんで自分の中から出た瞬間から、汚いって思うんだろうな、と。

 

たぶん、ほとんどの人達は自分を「おもて」だと考えているんだろう。

そして「うら」、「からだ」の内臓を全く気にしていないからなのか。

 

それでも、内臓から外の空間に出た瞬間から『汚い』と考えるのを、

全く考えずに自分の愛おしい一部である、とするのは若干厳しい。

 

 

どうしたらいいのだろうか。

 

 

 

その答え(に近い)実践を、三浦理事長は教えてくれたのである。

 

ワタシ自身、ウソかホントか、それを愚直にやってみた。

そうしたら、自分が考えた世界観は「ガラッ」と音を立て崩れた。

 

やはり「うら」も「おもて」も、やってみないとわからないのだ。

聞いただけ、知ってるだけ、情報を撫でただけでは、わからない。

 

皆様も考えてもわからなかったら「からだ」に問い掛けてみては?