おはようございます。
症状、疾患にとらわれる事なく、健康の回復、維持、増進を目的とするのが操体。
これは臨床でも、普段の生活でも同じ事。
何故、それが可能なのか。
それは、操体法が感覚をききわけた自力自療を旨としているから。
自力自療を適えるには、これを自力で行わなければ生存が保てないといった、誰もが行っている生存必須条件の生命活動に着目する。
生命体として、動きと呼吸は必須であり、無意識下でも、からだがエントロピーを増大させないようバランスをとりながら営んでくれている。
そうした、からだ(生命)の叡智を畏敬し、からだの本音を尊重する。
からだの本音は、エントロピー増大には決して向いておらず、気持ちよく快適に限りある生を全うしたいという事。
それを本人にも、感覚をとおして望んでいる。
治しをつけるのは、からだなのであり、からだの本音とその要求に忠実である事。
だから、決して害など無く、最小エネルギーで最大の効果が期待できる。
生存の必須条件である動きと呼吸が、からだの要求に適ってくれば、生命現象も根本からより良く変わっていく。
その先にあるのは、健康の回復、維持、増進であり、その過程で症状疾患も治まりがついてくる。
本来、治しは自力自療なのだが、とかく被験者本人は思惑の建前や理屈に惑わされている。
だからか、臨床の場では「こんなことで、良くなっちゃったんですか?」といった驚きの声もよく聞く。
しかし、治まりをつけたのは自分自身であり、本人のからだ。
操者(施術者)は、からだの本音とその要求に忠実であるよう、サポートするだけ。