昨日の続きになりますが「じぶんにとっての自由」、そして「からだにとっての自由」とは何なのかを常に考えています。
本日はわたしが考える「からだにとっての自由」を少し書いていきたいと思います。
この捉え方は様々な見方、捉え方があると思いますが、大抵の人は運動という枠の中で動かし、鍛えていくことで得られるものだと捉えられているように見えます。
また別の問いかけ方としては運動ではなく、からだの歪みを正していくことで得られるものだとも考えられます。
どちらも良し悪しはともかく、それを維持し、健康の増進に繋げていくにはかなりの労力が必要になる。
そして何よりそれらを実践してことにおいて「壊れる」可能性も無視は出来ない。
そのリスクを出来るだけ回避し、より信用のおけるものとは何なのかを自由を得るためには考える必要があります。
操体ではそのからだの自由にしていく1つの問いかけが「感覚」なのです。