そもそも人が有している「感覚」とは一体何なのだろうか?
よく感覚の話をすると大前提として
人それぞれ違うもの
その時々によって変化するもの
その時のからだの状態によって変わってくるもの
として認識されている。
つまり一般的には感覚とは無形なるもので常に変化し続けているものとして捉えられている。
しかし見方を少し変えて主語を「からだ」にしてみる。
からだが本来ききわけている感覚はひとりひとりに違いが生じるのだろうか?
わたしが自身のからだや臨床等でみる限り、多少の誤差はあるかもしれないが、それらに違いはなく全てが快のベクトルに向いているように思います。
なので、わたしたちはこの学びの中で「からだがききわけていること」に素直に従うことを重視しているのです。
この素直さこそが、からだを自由にする秘訣なのかもしれません。