東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

「師と弟子」について

今日書くテーマは「橋本敬三先生の語録」というテーマから少し脱線してしまうのかもしれませんが以前から橋本敬三先生に関するテーマがあればぜひ書きたいと思っていたので少し寄り道をさせてもらいます。
相撲、落語、将棋、歌舞伎等の伝統ある業界に身を置く者のほとんどは「師」という存在を作り、何年、もしくは何十年と師の下で学びを得ています。私も操体を学び始めてかなりの月日が経過しましたが、いつからか三浦先生の事を「師匠」と呼ぶようになっていました。最近、この言葉の重みを感じるようになり、学んでいる事に対しての「責任」が芽生えてきたと同時に果たして自分が弟子にふさわしいのか?弟子らしい事が出来ているのか?と考えるようにもなりました。このような経緯から本来あるべき「師と弟子」の在り方や「弟子の姿勢」について学びたいと思ったのです。

Yahooで「弟子」と「師」について調べてみた所、以下の事が書かれていたので紹介させてもらいます。「落語界においては師が弟子について一切の生殺与奪権を持っている。そのため、弟子が真打になる前に師匠を欠いた場合には例え、本人に責がなくとも即、廃業となる。また師匠の一存でいつでも弟子を破門する事ができる。その場合その瞬間から弟子は落語界から追放され、芸能人でもなくなる」と書かれています。
これらから分かるのは弟子が師につく以上は師の言う事に「NO」と言わず、すべて「YES」で答えなければならないという事です。つまり弟子にとって師匠が言うことは絶対なのです。「師」と呼ぶ以上はその位の「覚悟」が必要であり、自分の人生そのものを師に預ける気概がいるのです。この「弟子」の姿勢はどの業界でも共通して言えることだと思います。しかし、このような誰でも知っていそうな事を今の学校教育では教えてくれませんよね!まず「技術が知りたい」が第一になり、師の生き方や考え方、魅力に目が向けていないような気がします。今の世の中は「技術」ばかりが先に行き、それを扱う人のメンタルが技術についていけていないような感じがあります。若い時からこういう社会の在り方や心構えを教えていれば人生を悲観したりする若者は少なくなると思います。話を戻しますが「師に人生を預ける」ということは師がこの世を去った後もその「意思」を継承していく事に繋がっていきます。それは弟子としての「使命」といっても良いでしょう。この「使命」を全うしていく事が本来の師と弟子の在り方だと私は考えています。
今、日本各地に橋本敬三先生から操体を学んだ方がたくさんいると聞きました。弟子だったか生徒だったのかはさておき、その方々は皆、橋本敬三先生の「意思」を継承し、今も学び続けて世の人達に貢献しているのだと思います。わたしも師の意思を継承し、偉大な先輩方と同じように世に操体を広めていける臨床家になれるよう日々精進していきたいと思います。