東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

晩秋の光より・・・ヒビキ。

おはようございます。

 朝起きて、朝陽を見る。これが春の東京操体フォーラムで学んでからの日課となっている。秋のこの季節、それほど眩しく感じない。
手をかざし、指の間からこぼれる光を目を細めて陽の光の線だけ見る。スペクトラムが山吹色優位で、ほんの少しだけ緑や青が混じるように見える。なんだかゴッホの絵の配色にあったような、なかったような。

 降り注ぐ陽の光と、その波長を吸収したり反発させたり、上手い具合に調整してくれる空気のお陰で、自分達は生きていられる。そう想うと、今、指の間からこぼれている光が、なにか愛おしく感じてきます。ある意味、聖別され祝福された光なのかもしれない。

そういう光と空気を感じて、木々は紅葉する。それを愛でる人間の視覚も遥か昔からの進化により、美しいと感じられる色彩感度を備えた視覚を持つことができている。逃げるものを追って食べる動物の目では、この色彩に富んだ紅葉の美しさは感じられないかもしれない。文化、文明を創造できる人間の目だからこそ視感できる美しさ。それを受け継ぐ有り難さ。秋の紅葉の風景の一瞬には、様々な構成要素とそのプロセスが含まれている。

 その構成要素とそれらのプロセスを知り、有り難いと想えば、風景の記憶は一層輝いてくるだろう。しかし、見る時は、その美しい記憶を一旦区切らなければならない。そうしないと、その一瞬を思考の決め付けで見てしまう恐れがある。
 決め付けをもった目で見れば、その時の本当の姿というのは見えてこない。それでは、その時その場にいる意味がなくなってしまう。

 操体臨床にも、つうじるものがあると感じる。操体には、この症状だからこうする、という決め付けはない。今その場で、からだの要求に応えることを行なう。前回診た時と同じやり方で、快がききわけられ、バランスの回復、不快症状の改善に向かうとは限らない。
常に、その場その時の、からだの要求に対して、負担をかけずに優しく、尚且つ調和に向けた効果的な応え方をしている。快にも質があり、からだの求めている最高の快を味わっていただく為だ。

 決め付けずに、素直に見て、感じて、ヒビキ、そして紡ぎあげていく。どちら側の目を優先させるか、どちら側の脳を優位にするかということも、ヒビキという事に重要になってくる。
そして、紡ぎあげるという事では、それまでの経験や知識というものも絡んでくるが、経験や知識でヒビキをシャットアウトしてはならない。一番の大敵は知識による決め付けだ。

 ヒビキ、つまり、からだや心の心根にヒビクということは、イノチの記憶と交感することであり、存在を存在たらしめる意識に触れるということであり、存在の創造主の意志に触れることでもあると思う。
知識を高めることは重要なことだが、高めた後の想いが大切。想にも自然法則がある。想いを自然法則に合わせるようにすることで、知識はより活かされ、ヒビキとも調和和親でき、より良く美しいものが紡がれるのではないだろうか。

 ヒビキということに焦点をあてれば、時には目を消し、自然現象の呼吸を感じるということも必要かもしれない。光からすれば人間の可視域は限られている。そのお陰で美しいものが美しいと見れるが、自然現象のヒビキには、それ以上のものが在ると思う。


「2014年秋季東京操体フォーラム
今回は11月22日(土)23日(日)の二日間開催いたします。
メインテーマは「操体進化論」。
特に、22日は場所の都合上、人数が限られておりますので
ご参加希望の場合はお早めにお申し込み下さい。
詳細は以下、「東京操体フォーラムHP」をご確認ください。
http://www.tokyo-sotai.com/?p=813