読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

「ゆがみと治癒力」

三浦 寛幸(みうら ひろゆき)

なぜカラダと心は歪むのか?ボディーが歪むという現象とは命の営み(息・食・動・想)、つまり己の「生き方」に対する一つの通知表のようなもので、今までそれは自己責任を怠った一つの「報い」として今までは捉えてきた。

 

症状・疾患を抱える患者はその報いに対して自分でどうにも出来なくなると医者や手技療法に頼りにする。それに対し医者や臨床家はその症状・疾患を治すために様々な技法、手段を用いて治療するのだが、その報いの一つの対価として痛みを与える。

 

痛みを与えることで患者の思考には「二度と痛い思いはしたくない」という思いから自分の生活習慣を見つめ直し、命の営みを正すこともあるが、一度痛みや苦痛が無くなると歪みは普段の生活の中でまた元に戻ってしまう。つまり痛みという報いの対価では歪みの元となるものが改善されないのである。

 

その元となる原因が改善されなければ、同じ痛みを何度も味わうことなり、それが蓄積されていくと一生涯痛みと付き合う事となる。

 

そのようにならない為にも、自分で好き勝手生きてきた患者自身の生き方、意識、心の「ゆがみ」を正していく必要がある。

 

では救いの対価とは何なのかを考えていくと、それはカラダの治癒力なのだと思う。

 

カラダに備わっている治癒力は歪みと陰陽対極のものであり、カラダが歪むのと同様にその分、カラダには治癒力という救いが備わっているのである。

 

こういった捉え方をしていくと臨床とはカラダの歪みという現象だけを診るのではなく、患者自身の生き方という目には見えない潜象も診ていく必要があり、それを命の要求に適う様に変えていくことがカラダを診させて頂く者の務めなのだと思う。

 

生き方を変えていくには、まず命の営みを含めた意識を変えていくことが必要になり、まずは患者に命の営みにおける「自己責任」と向き合わせることがとても大切になってくる。

 

カラダは治るように設計されている。それはカラダに備わっている治癒力であり、そういった救いの生命観の有難さに気付かせることが、これからの臨床家にはとても大切なのではないだろうか。

 

おしらせ

2015年冬季東京操体フォーラム 速報です。
12月5日(土)6日(日)二日間開催決定