家から仕事場までの距離は、歩いて20分。我が家周辺は、だいたい碁盤の目に舗装された道路が走っていて、その間に小さい路地が沢山あります。
毎日ではないですが、小一時間、朝の散歩コースなどにして歩いています。手荷物はなるべくなくして。歩く歩く歩く。歩くために歩く。
三浦先生から教わったように、
操体としての自然体、重心安定の法則を意識して。道を曲がるためには、どっちのお尻に吐く息を通すんだっけ?
坂道を登る時の骨盤はなるほど前彎曲だなあ。なんて思いながら。
なるほどからだという自然法則にかなった歩き方って、「優しい」です。周りの空気に溶け込む感じがするとでもいいましょうか。
歩行中でも、こうやって自分のからだをチェックし、ひずみがあれば立ち止まってひとりで動診操法を通してみると、その後歩き方がスムーズになるのがわかります。
おもしろーい。
その日一日が気持ちよく過ごせるように。運動を面倒くさがる私でも、面白ければ続くもの。
また、ウォーキングの先生、草階氏の言葉を思い出しつつ、
かかとで着地し、第1趾に抜けてちゃんと地面をけっているか。お臍はうえに引きあがってるか。坐骨は立てて。目線は目の高さ。腕を後ろに引いて肩甲骨を揺らすように。
これらも、うまくできないときはやっぱりどこかに歪みがあるということですね。(詳しくは草階文恵「簡単!楽しい!キモチいい!きれいになる操体生活」を参照のこと)
それらが整えば必要な筋肉も後からついて美しくなれそうだわい。
うっしっし。
心の中ではヤスジのようにほくそえんでいます。
「おおお、結構今美しく歩けてるんじゃないの?」
「やるじゃないあたし!」
と自分自身を褒めちぎりながら、表向きはさわやかな笑顔で歩いております(ホントですよ!)。
それでも最初は両足を自由に使えませんでした。右足首をこねくり回して着地していたようで、しかもかかと重心。そりゃ猫背にもX脚にもなるよな〜。膝も痛かったわけさ。いろんなことに気づきました。
今では左右どちらの足裏も親指を利かせて歩けます。からだの線も意外と変わる。(あとは毎日やればね!飲みすぎなければね!)
それまでは自分のからだをどう使ってよいのかわからなかったのです。頭とからだがつながってなかったということでしょうか。
橋本先生が「一生からだで遊べるぞ」とよくおっしゃっていたそうですが、本当ですね。
それから、この朝の散歩の楽しみは、路地と花と猫にもあります。
30年住んだ町なのに、無意識に同じ道ばかり歩いているものです。朝のウォーキングを始めてから、通ったことのない路地がこんなにあるのかと正直驚きました。
蒲田は住宅街で自然の少ない町だと思っていたけれど、こんなに近所に美しい花や樹を育てている人が生活してる町なんだなと、住んでいる町の見る目が変わりました。
こうして沢山の道草を食い、行き止まりで元の道に戻ったり、遠回りしながら目的地に向かっていると、「まるで人生のようだ」とベタにしみじみする自分に出会うのもまた面白し、です。
それから、猫との出会いも楽しみです。
小さい時から喘息もちで猫を飼うことを禁止されていた私ですが、両親が働きに出ている時はこっそり通い猫をコタツに入れて餌付けしていました。意味ないです。
今でも散歩中は猫レーダーのスイッチがオンになります。猫だまりを見つけると幸せな気持ちになります。
明日は路地裏と患者さんの猫について書きます。
では、このへんで。
森田珠水