東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

天道虫



(何してるのかね?チミは・・・)


某新聞の社説に書いてあったことですが、
内閣の変化と日本国の関係を、ネクタイとスーツに見立てコメントしていました。(さすが上手いなァ)

確かに、一部(局所)だけ変えても仕方ありません、変化とは生まれ変わることです。

日本のみならず、世界全体を調和させていくように舵をとって頂きたい。

背中を見られたら、な〜んだ・・ということのないように、私もバランス現象を感じてみます。

つながりは感じるものです。

「人生とは常に、世紀の一瞬」なのです。

一人の人間の意識とは、おもいのほか、様々に関与してくるものです。

そうはいっても、例外のないことはあるのでしょうか。

ええ、ありますとも、あるのです。


橋本敬三先生は晩年、「気持ちがよければいいんだ」と繰り返し、お話ししてくれました。

「気持ちがいい」というコンパスは、青木ヶ原樹海でも通用するのです。ありがとうございます。

それは今でも・・・いや私達の、”今”にこそ、なのです。

(注:コンパスの例外をクリアする例です、遊歩道以外は立ち入らないようにお願いします)

管総理大臣、新内閣の皆様、政(まつりごと)再出発ですね。
日本の舵取りをどうか、よろしくお願いします。

という話をした後で、こんな事を書くのもどうかと思いますが・・・。
 


僕の好きなジョージ・マイケルの(懐かしいアルバムジャケット、FAITH)物真似?をしてみたくなり・・・、

ただこのピアス風写真を撮るために、耳たぶにこれをぶら下げたのです(笑)かなり痛みを我慢(泣)してました。

写真を撮って数十秒後、我慢していたイヤ〜な感覚を取り去ったのですが、ある現象が起こっていました。

左側の頸部の右回旋制限に加えて、左の肩引きはガチガチになり、自発痛が生じてズンズンと気持ち悪いのです。

確かに「不快」なことを好んでしていれば、痛みを生み出すんだナ・・・と。

ちょうど左の「膏肓穴」なのですネ。納得と同時に驚きました・・が学ぶチャンスです。

まず、肩胛骨内縁(膏肓穴辺り)の痛みのある部位を押さえ、痛みのない「楽な方向」へ頚を動かしたり腕を動かしてみました。

あまりにも痛いので、それほど「楽に」わかりません。比較しても「楽に」なってはくれません。

それよりも常に自発痛が優先しているのです。下手なのでしょうか。

次に痛みがなくなるように動かして、気持ちの良さをグネッグネッと、「探して」みました。

探してみると、押している部分は気持ちいいのと、ストレッチの気持ちよさは探せましたので味わってみました。

押している部分は、楽になったような気がしますが、その周りは楽になってくれません。下手なのでしょうか。


そして、現時点で「一番安楽」に感じるポジションを「からだ」にききわけてみました。

椅子に座りながら、左に捻転してやや後屈したポジションが「一番安楽」な感じのようです。

そこで、介助と目線に意識を加えて、更に「からだ」にききわけてみたところ、痛みが広がっていきながら気持ちよさがあります。

この感覚を味わってみたいのかな?私の「からだ」にきいてみたところ、イェスだったので「快」に委ねてみると、

いつの間にか意識がなくなっていました。

数分後・・・目が覚めると、肩周辺に固さはありましたが、「膏肓穴」周囲の気持ち悪さとズンズンした感じが消えています。

仕事を終え、家に帰ってお風呂に入った時確認してみましたが、何でもありません。

要するに、「からだにききわける」とは、やはり「からだ」のことなんですネ。

(無くならないものって?)

病気が心配なあなた・・・。

な〜んにも、心配することはありません。

人間は誰でも死ぬんです。

なぜなら、人間のの死亡率は100パーセントです。(綾小路きみまろ氏)


さて、人間がいなくなっても、簡単になくなることのないもの。

それはなんでしょうね。

例えば伝統というのも、その一つではないでしょうか。

要するに、「伝統(スタンダード)にはブレがない」

「伝統」には本来の意味として、

*昔から伝えられてきたこと。しきたり・制度・考え方、とあります。

そして古い言い方ではありますが、

「天道」=自然の法則、とありました。


実は悩んでいたあるとき、ふと自分に問いかけたのです。

「ねえ、僕教えて欲しいんだけど、僕にとっての絶対ってあるの?」

その問いかけに、もう一人の私は答えてくれませんでしたが、

夢の中で答えらしきものを与えてくれたのです。

「それは”天”というんだ。君の学んでいる”太極”というものなんだよ」

起き上がってすぐに日記にメモしてから、”天”というもの「からだ」を通じて感じてみました。

それは、いわゆる東京タワーのように土台がしっかりしていて、末広がりになっています。

しっかりしたモーメント構成を持ち、中心に軸があり、いつまでも上に続いています。

ただひたすらに、「ジャックと豆の木」のイメージで登っていくと、

いつの間にか私は”それ”でありました。

ふと気がつくとそれはなく、素の私に戻っていたのですが・・・。

そして「天」の意味を調べてみました。

一、上方にはるか高く広がっている空間。空。

二、神や霊がいると考えられている、はるか高くに存在する場所。

三、人知をこえて、すべてのものを創造したり、支配したりする存在。神。

とあります。


ここでふと私に、三浦理事長に教えて頂いた言葉が響きました。

・・・橋本敬三先生の言葉に、

   「天成りの道を知ろう」というのがあるんだよ・・・。

そうなんです。

僕は天に属し、天に至り、天に帰す存在なのです。

本当はどうなんだか分かりませんが、そう考えるとウンと有り難いのです。

そうそうもう一つ面白かったこと。

今の時期、花につくアブラムシ。

この天敵とされているのが、天道虫。

そうなんです、「虫」が付くとテントウムシになっちゃいます。

それに「サンバ」が付くと、結婚式でよく聴くあの歌になっちゃいます(おっと脱線しちゃった)

天ナリノ道ヲ歩ム、のは人間。それこそ、ヒトであるが由。


夢の国の住人でも、現実の世界に生きる以上、人間は人間を創り出すことができない・・・ならば、

それでこそ、「神は自分の像の如く人間を創造りたまえり」という言葉には・・・意味があるのでしょう。

「神人合一」の立場における「人間である自分自身」には、人格がありそうですね。

神の似姿(神の一部とすれば)として、人間に生まれさせて頂いた意味を知りたいのです。

「からだ」と向き合い、臨床の中で感じられたことには嘘がない。

だからこそ、操体の臨床には「大きな器」を感じ取ることができる。

勿論、あなたも、ぼくも、「いかせる」生かせる・活かせる・行かせる・往かせる・・・。

どこへ行くのにも心配ないよ。〜操体は全てを生かせる大きな器〜(三浦理事長語録より)


今日はこんなところで失礼します。ありがとうございます。


岡村郁生



6月13日、行徳ゴールドジムにて第四回「臨床家による操体セミナー」開催
8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
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