既にご存じの事とは思いますが、4月29日に2011年第二回東京操体フォーラム分科会が行われます、本体のフォーラムとは一線を画した内容で、よりアグレッシブに各テーマに取り組んでいます。フォーラムが本道とすれば分科会はより実験的であり、幅を広げ、いつもフォーラムで行っている内容を別の角度からアプローチし、より操体の幅を広げる試みをしています。
橋本敬三先生も生前に身体運動の法則をして、大系付けては来たが未だ確立されているものではないといった言葉を残しておられ、これは操体全てに通じる部分であり、『息・食・動・想』においても、今後研鑽が重ねられれば大きく進化発展して行くであろうと思われます。
とそこで、今回は私が今度、4月に話しをさせて戴く予定になっています『食』について、予習を兼ねて少し補足を書かせて戴ければと思っています。
実を言いますと、食に関しては前回、第一回目の分科会でも対談形式で三浦理事長、小代田実行委員とコラボレーションをさせて戴きました。
前回は漠然と食がテーマだったので、手技療法の原稿繋がりで、徳川将軍家の菩提寺から発掘された頭骨からみた、骨格変遷と現代人の食の危うさみたいな大きなテーマで話しをさせて戴きました。
で、今回はと申しますと、福田に任せておくと何を喋るのかが怪しいからということで、『食性』というこれ又、更にアカデミックなテーマで話しをさせて戴くこととなりました。
普段先ず語ることがないであろう食性といったテーマで喋ることで、改めて人間を一種の動物として考えることが出来た良い機会だったと思います。昔、栗本慎一郎氏だったと思いますが、人間は所詮パンツをはいた猿だと言っていたことがあります。
本質的意味は違いますが、人間だってヒト科の動物でしかなく、二足歩行をしたことで脳が発達し、道具を使うことを覚えたのが、他の動物との根本的違いであり、服を着ている、それ以外は家(うち)の小太郎と何ら変わることが無いと言うことです。
一般的にヒトの食性は肉食もするし、穀物類も食すので『雑食』とされていますが、本当にそうなのでしょうか?
例えば肉食としましょう、想像してみて下さい、今から山の中に入っていって鹿でもイノシシでも結構ですが、道具無しで捕まえてみて下さい・・・マス大山(故大山倍達氏)の世界です、素手で野生の動物を仕留められる方がどれ位居るでしょうか・・鹿もイノシシも必死で抵抗しますし、角やら何やらで攻撃されれば、人間様は無事では済まないでしょう。角で脇腹でもえぐられればゲームオーバーです。
仮に運良く獲物が捕れて、食べる段になった時、皮を剥いで中身を食べるわけですが、爪で皮を引きちぎったり、生の肉を歯で食いちぎり食べられるヒトがどれだけ居るでしょうか?
先ず物理的にも生理的にも不可能だと思われます(私根本的にレアNGなので)・・・
こんな話しをすると、火を通したり道具を使えば食べられるじゃないか!と反論する方も居ますが、火を使ったり道具使用は動物の中ではヒト特有であり、これは知能が高いヒト科が進化の過程で生き残るために知能が発達し『文化』として昇華した結果なのです。文化は食性とは真逆にあるものなので、一緒にするとおかしくなるので、純粋に動物としてヒトを考えると、自然界においてヒトとは何とも頼りなく、弱い存在であると解ります。
そんなか弱き動物、ヒトが飢えない様に、生きていける様に安定的に供給が可能な食物とは何なのかと考えると、自ずと『植物系』になってくると言えます。植物は足が無いので走って逃げることもなく、怒って襲ってくることも当然ありませんので、ヒトでも安心して捕食することが可能な食物と言えます。
そう考えると、日本って国は非常に素晴らしい地理条件にあるなぁとツクヅク思います。
四季があって、四季折々の旬な食材が食べられる♪地域によってその土地にあった食のバリエーションが有る。
そう考えると、ヒトは動物なのですから、歩いて行ける範疇の物を食すのが一番の自然な食の形ではと思います。
島根に住んでいる私がいちいち、沖縄まで泳いでゴーヤを食べに行けるわけでもなく、北海道のジャガイモを食べる道理がないのです。
現代人はヒト科としての食性を今一度、考えるべきです・・・
福田勇治
2011年東京操体フォーラム分科会は4月29日に千駄ヶ谷津田ホールにて行います。http://www.tokyo-sotai.com/
2011年2月から足趾の操法集中講座を開始します。