東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

絆と平等2

人としての絆を大切に、心の絆をアピールするが、誰一人「意識の絆を大切に・・・」とは言わない。意識の絆とは、「いのちの絆」とう言うことである。
一人一人が、イノチの絆、意識の絆として声をあげてほしい。心の絆もいいが、なにか、軽すぎて、空手形のように聞こえてくる。この絆が風化しないことを願うばかりである。
1年前の地震津波被災者が、一番恐れることは、時間とともに風化し、忘れられてしまう、見えない現実と自分におののいていく姿である。
人々は、どうも平等を好んではいないようだ。平等とは、等しい、同じということ。誰れもが、命に対しては平等である。この生とその先に待っている死は、誰れにでも訪れる。しかし、一人一人の自我の思考観念に、平等を好まぬ指向が存在している。豊かな生活を一人一人が望んできたなかで、共に豊かになることではなく、人と比べて、人よりも豊かになりたいという欲心が育ってしまった。格差をつけ、人よりも、より一段、より一層豊かになる、ことをめざしてきたのだ(自己の願望としてきたのだ)。
人をさげすむ、格差の中での豊かな暮らしである。
その物心欲心は、執着をよりほしがり、減っていくことを恐れる。所有すればより多くを欲し、地位、名誉も一度つかんだら、生涯放そうとはしない。しかし、だからと言って、安心、慢心し、常にその自我と葛藤し、我心にとらわれている。自分に格差が生まれ、それが高くなれば、なるほどホッとする優劣性である。そんななかで、人と人との絆、心の絆が生まれるのだろうか。
意識の絆に立つてこそ、平等といういのちの絆に立てる、のだと思う。