東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

心とからだの研究

操体の動診では言葉の誘導というのがある。たとえば「感覚をよくききわけて! 」と、クライエントに促すのではあるが、現代人はその感覚をあまり使っていない。この感覚とは「意識」そのものであるが、我々は「無意識」の中で生きている。というのも生命維持の中枢である心臓の心筋は横紋筋ではあるが、不随意筋と呼ばれる無意識の筋肉が司っている。またからだには自分で意識して動かせる随意筋という筋肉もある。そしてからだの動作に関わっている運動に関するほとんどの筋肉がこの随意筋である。ところがこれらの随意筋は生活習慣によって支配されており、現実には無意識化している。それゆえ感覚をききわけろと言われてもピンとこないのである。
では、動作の主役である「からだ」と「心」の意識はどのようにつながっているのか? それをつなげているのが「神経」と言われるものだ。この神経をコントロールすることができれば、からだの感覚を的確に意識できることになる。そしてその役目を果たすことが可能なのは「呼吸」以外にないのである。こんな重要な働きをすることができる呼吸を司っているのは意識的な随意筋であり、無意識的な不随意筋でもある。心臓は自らの意識で止めることはできないが、意識的に呼吸を止めるのは容易い。しかし、睡眠時には無意識の状態でも呼吸筋は働き、呼吸を続けることができる。
呼吸筋というのは随意筋でありながら、しかし意識からも自由であるというからだの中で特別な筋肉である。我々は普段、呼吸を生活習慣によって無意識に行っているので、またしてもなかなか意識する機会が得られないのだ。これを意識して気づくという僅かな努力でもって我々の呼吸は格段に変化し、あらゆるからだの感覚が研ぎ澄まされてくる。自分自身の呼吸に耳を傾けることは、からだだけでなく、心も同じように感覚できるようになる。これが「からだの声を聴く」という、禅で教えるアウェアネス、「覚醒」の意味するものだ。ようするに呼吸を意識すれば心身は変化するということになる。また「感覚をつかむ」という言葉があるが、それには呼吸を意識することが必須条件になる。本当のことを言うと、感覚をつかむことなど、できようはずがない、感覚は訪れてくるもので、いわばお客さまである。それを迎え入れることこそが感じるというコミュニオンなのだ。
ここまでの話は、からだが『静』の状態にある場合に限られる。では『動』の状態においてはどうなのか? すなわち操体の動診のようにからだの動作が伴う、となれば動きの感覚においては呼吸を意識することを必要としない。操体の動診では、意識的に動くプロセスにこそ重要な意味があるからだ。このからだを動かすというのは、筋肉を動かすことで、そのときの知覚プロセスの要素は感覚刺激から知覚神経を経て伝わる電気的なインパルスが脳に届いた結果、それが評価されて動作反応を起こすのである。からだにはこのような複雑な電気的リレーシステムがあり、これが脳の感覚中枢と運動中枢の間を生体電気回路で結んでいる。そして脳での情報処理が済むと、それに応じた筋肉活動が開始されることになる。
明日に続く



三浦寛 操体人生46年の集大成 "Live ONLY-ONE 46th Anniversary"は2012年7月16日(海の日)に開催致します。