おはようございます。
雨もあがり、爽やかな風が吹いてきました。
昨日のつづきです。
心は中枢神経を介してからだとつながっています。
「怒は肝を傷り、悲は肺を傷り、驚は腎を傷り、憂は脾胃を傷り、喜は心を傷る」と昔から言われているように、からだは心のうちの感情に相応して、特定部位を圧迫するような姿位をとるようになります。
当然、特定部位を傷らない為にも、時間・空間のかかわりの中で、からだは無意識に再び姿位を変えます。そして、その情報も意識にのぼり、心につうじており、感情とは違うところに関心が向くということも起こっていると思います。それによって、気分転換もはかられているのではないでしょうか。
しかし、心がからだにとってマイナスの感情に縛られて、意識を覆い尽くしていれば、せっかくのからだの働きも無駄となってしまい、心とからだの不調和から、からだの不調を招いてしまいます。
重要なのは、からだの無意識や自分を生かしめているイノチにつうじている意識を、意識するということだと思います。
茂木健一郎氏は「準備電位と言葉」の文章の中で、端的に言えば「僕らの意識は、脳内現象の事後の合理化にすぎない」可能性が明らかにされたのです。 と書いていますが、見方を変えれば意識ほど心の構成要素の中で、無意識というものを、ピュアに捉えているものはない、ということになってくるのではないでしょうか。
そのような意識を意識して、意識で無意識の領域を感じる。そして、無意識を想えば、からだは常に自分を肯定して守ってくれている、絶対的な存在であるということが解ってきます。正に、心とからだは2にして1、1にして2なのです。
有り難いと感じるし、嬉しくもなります。そこに無意識の領域への手入れの鍵があり、そう感じたならば、言葉にすることです。その時フッと浮かぶ言葉は、人それぞれでしょうが、総じて心を清く、正しく、明るく前向きな方向に向ける言葉となる筈です。
そうでなければ生きてはいられないし、人間には生かされて生きているという大前提があるからです。そして浮かんだ言葉を口から出すことで、心とからだは善い言葉で調和しながら、その方向に向き、自分や自分のまわりをそのようにしていくのです。
まどろっこしい書き方となってしまいましたが、これらの事柄が解ったならば、もう一歩進めて、先取りしてしまえば良いのだと思います。この世に生まれてからの事は、人それぞれでしょうが、元々人間の設計にミスはなく、元々救いが成立しているイノチだという事を、まずはしっかり自覚する。つまり、確乎とした自分という存在の根拠を意識する事だと思います。つきつめていけば、これほど確乎とした絶対的なものはないのです。
そして、自分だけでなく、イノチとからだと自分が一番よろこぶ言葉を持ち、口にするという事。それが手入れとなり、ちょっとした会話もその方向性の示される発話となり、運命もその方向に向かっていくのだと思います。
橋本敬三先生著の「生体の歪みを正す」には、日常生活の手入れと題した文章があります。
この中で精神面については、〜 楽しいこと、嬉しいこと、有り難いことを数え立てて、そのことを口に出し、くりかえすことにより、心はそっちに向いてくる。人は心身ともに完全設計されているという大前提を確信すれば、自信が湧き、安心していられる。このことを絶えず考え、くりかえし言葉に出して、自己暗示を深めることである。人生の運命は口から出す言葉で舵を執られるのである。〜 とあります。
友松 誠。
三浦寛 操体人生46年の集大成 "Live ONLY-ONE 46th Anniversary"は2012年7月16日(海の日)に開催致します。
2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催決定