東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

正伝。

おはようございます。

春季東京操体フォーラムから、もう一ヶ月ちかく経ちましたが、沢山のご来場ありがとうございました。熱気むんむんといった感じでしたね。

私は、フォーラムの何日か前に、フッと中野孝次氏の「道元断章 正法眼蔵と現代」という本がまた読みたくなり、書棚の奥に眠っていたのを3年ぶりぐらいに取り出して、読み返していたのですが、今回のフォーラムに共通するものがいくつもあったように感じられました。
道元は「正法眼蔵」の中で、仏教に関する形式や規定について、事細かく言及しており、それはTPOに合わせた御辞儀の仕方は勿論、用便の仕方、用便後の尻の洗い方、手の洗い方に至るまできちんと規定していたといいます。なぜ、そんなことまで、と思われる事柄まで作法として規定しなければならなかったか。それは、釈迦の前の七仏から始まる正法を、正しく伝える為だったのだと思います。
道元は天童山で如浄和尚に会ったことによって、修行とは正師からの正伝以外にないことを知ったといいます。各人が思い思いのことをやっていては、形の崩れ、ひいては心の崩れにつながり、修行の妨げとなってしまう。正法を正しく以心伝心するには、受け止める側も己見を一旦捨て、心とからだを正法にふさわしいものとしていかなければならないのだと思います。そうでなければ、どんな言葉も腑に落ちていかない。
敬愛する師、如浄から授かった正法とは如浄の教えだけにあらず、その奥の連綿とつづく代々の仏祖にまみえることである。それを後世に正伝する為には、細かな事も疎かにせず、作法とし、「型」から入るという修行の形をとらなければならなかったのだと思います。


操体法も、創始者橋本敬三先生の意志を受け継ぐ、正法でなければならない。しかし、初期の操体法は正しい介助作法の研究がされぬまま、普及してしまった経緯があります。それによって、操体法とは名ばかりの、まるで違ったものまで出て来るようになってしまいました。
しかし、本来は作法がキチンとあるのです。これは自分勝手に規定したものではなく、からだの使い方、動かし方の自然法則から導き出されたものであり、そうしなければならない理由も、それぞれあることなのです。そして、その作法は臨床のみならず、日々の精進により、作法が円熟するほど、自分もより健康に身体機能がアップしていくというものなのです。
そうでなければ、操体法はみんなの為のものとはならないのです。操体法はみんなのものだから、どんなやり方をしても良い、というものではないのです。あくまでも、みんなの為になることを前提に、自然法則の応用貢献に励むものなのだと思います。


友松 誠。



三浦寛 操体人生46年の集大成 "Live ONLY-ONE 46th Anniversary"は2012年7月16日(海の日)に開催致します。

2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催決定