東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

46th Anniversary

不思議なご縁を感じるのが、このタイトルになっている46th Anniversaryです。これは師匠である三浦先生操体とのご縁があって今年で46周年を迎えられたという意味で、来月16日海の日に、津田ホールでLive ONLY-ONE 46th Anniversaryと題して、三浦先生のワンマンライブが開催されるのです。
不思議なご縁を感じると言うのが、46年前と言えば、私がこの世に生を受けた年だからなのです。三浦先生が操体との縁があった年に自分が生まれたなんて、何だか目に見えない縁(えにし)を感じてしまうのです。
三浦先生が操体とご縁があった、又、私が生まれた昭和40年ってどんな年だっただろうか?とふと振り返りたくなってみました。

昭和40年、1965年は三浦先生17歳、青春真っ只中と言ったところでしょうか。この頃の世相はどうだったかと言えば、VAN(ヴァン)のアイビー・ルックとして広まった3つボタン、細身のズボンの背広を着たしゃれたファッションを身に纏った若者たちが出現「アイビー族」と呼ばれた人々です。
「アイビー」とは米国東部の名門私立校8校の連盟アイビー・リーグから命名されたそうです。但し、日本のアイビー族は学歴不問で、ファッションでアイビー族と呼ばれたとのこと。
後は「テケテケテケ」で有名なベンチャーズを中心とした”エレキブーム”が起こったことです。ベンチャーズに至ってはメンバーが入れ替わったりしてはいますが、たいへんな親日家であり、いまだに毎年日本にやって来ています。日本の音楽に与えた影響たるや凄いもので、今、日本で大御所と言われているミュージシャンの殆どに影響を与えたのではないでしょうか。
このエレキブームのお陰で、日本のギター人口が一気に増加、結果として各地にエレキ・バンドが誕生しました。しかもその翌年、ビートルズが来日したことで、その後のグループサウンドブームへと繋がっていくのです。因みにベンチャーズはその多大な貢献度に対して、2010年に旭日小綬章も叙勲されたようです。
2009年に結成50周年を迎えたとのことなので、老いて益々盛んとはこのことでしょうねぇ・・・

昭和40年の主な出来事としては、特に大きな事件等は見当たらないので、目に付くものをあげてみますと、2月に大塚製薬オロナミンCを発売しています。この頃は崑ちゃんがキャラクターでは無いですよねぇ・・・3月に西表島で新種の猫ではないかと思われる頭骨と毛皮を発見!命名はご存じイリオモテヤマネコトヨタがSports Carトヨタ800」を発売!今でも手入れして乗っている方がいらっしゃいますねぇ、俗に言う「ヨタハチ」です。
日産も「シルビア」を発売してますねぇ・・・7月には日本初の報道協定がひかれた吉展ちゃん誘拐殺人事件の容疑者が逮捕されています。後はJRでみどりの窓口が出来東海道新幹線、東京〜新大阪運転開始第一回プロ野球ドラフト会議が開催されたのもこの年だそうです。因みに巨人の一位指名は悪太郎こと堀内恒夫氏だったようです。

当時流行った歌謡曲としては、一番売れたのは美空ひばり「柔(やわら)」で、前年度の東京オリンピックも手伝って、わずか半年間で180万枚のミリオンヒットだったそうです。後はペギー葉山「学生時代」都はるみ「涙の連絡船」が共に100万枚のミリオンだったようです。その他も錚々たるメンバーで、石原裕次郎(二人の世界)、北島三郎(兄弟仁義)、越路吹雪(サン・トワ・マミー)、デューク・エーセス(女ひとり)、マヒナスターズ(愛して愛して愛しちゃったのよ)、水前寺清子(涙を抱いた渡り鳥)など若い人は知らないだろうと思われる、往年のスター達の顔ぶれが並んでおります。

映画は興収が高い順に「007/ゴールドフィンガー」「マイ・フェア・レディ」「サウンド・オブ・ミュージックと洋画がベスト3を独占しておりました。邦画のトップが網走番外地/北海篇」と洋画との芸風の違いに吹き出しそうになりました・・・

テレビに関して言えば、この年は私にとって思い入れの強い番組が幾つかスタートしております。私と言えば大河なので、この年の大河ドラマ太閤記でした。秀吉役は故緒形拳氏、信長役が高橋幸治氏と錚々たるメンバーです♪
そして、あのセコムがモデルになっているドラマ、「ザ・ガードマン」がスタートしたのもこの年です。このドラマは私にとんでもないトラウマを植え付けてくれました。真夏の恐怖シリーズと称して、幽霊や怪談をテーマに番組が構成され、子供心に余りの恐ろしさに、夜に一人でトイレに行けず、母親を起こしてトイレの入り口で待ってもらうという、今考えると何てことしたんだろうと思う様なことをしておりました・・・

そしてもう一つ、あの11PMがスタートしたのもこの年です。性春のバイブル的番組で、個人的に好きだったコーナーが“うさぎちゃん”が温泉を紹介する「秘湯の旅」が何故か好きでした。意味の無いカット満載で、頭弱そうなリポーターの女の子が、温泉の効能が書いてあるパネルを持ちながら「こ〜の〜は(効能は)」って言いながら温泉の効能を説明するのです。後は矢追純一氏がコーナーでUFO特集をやっていたのも覚えています。まぁ当時のカバーガールも今では大女優になった人や、他人と姉妹になった方など、色々いらっしゃいました。個人的に好きだったのは小栗香織でした・・・

とまぁ、昭和40年って年を振り返ってみましたが、自分が生まれた年に何があったかなんて、当時は分かる訳も無く、改めて今回調べることで、へ〜って発見が色々とありました。
でも冷静に考えると、私が生きてきた46年は長かった様な短かった様な気もしますが、その46年を操体と共に過ごして来られた三浦先生は凄いです。
生きてきただけでも長いのに、誘惑の多い青年期から今に至るまで、創始者である橋本敬三師の背中を追いかけ、人生を命をかけて取り組んでいらっしゃる姿には誰も真似が出来ません。師匠とは自分自身が目指すべき頂であり、その頂に登ってみたいと思える師匠に出会えたことに、喜びを感じます。

人の縁(えにし)は必然であり、偶然は存在しません。その貴重な縁を自らスルリと手から離してしまう人もいます。相手から切られる縁は仕方ないとしても、自ら切る縁はよっぽどの深い考えが無ければ、無謀です。
精密な神の設計図に狂いは無く、出会うべくして出会い、意味の無い出会いなど、図面には無いのです。時には反発することもあるでしょう、時に迷うときもあるかもしれません。
ですが、そのどれもが神からの試練なのです。その試練に挫け、縁を自ら切ってしまえば、人生の設計図は大きく変わり、その後の人生は迷い多き人生となるでしょう。
先ずは受け入れる、飲み込む、そして深呼吸をして考える、人生の設計にミスは無いのです。人は人に活かし活かされる、この人を繋ぐ大切な命のリレーを私も私の人生をかけ取り組んで行きたいと思います。
私の46周年は後、35年位あります・・・生きているんだろうかと一抹の不安を覚えつつも、師匠の様な46周年が迎えられる様に精進したいと思います。一週間ありがとうございました。来週からは我らが師匠、三浦先生の登場です。お楽しみに!


三浦寛 操体人生46年の集大成 "操体マンダラ Live ONLY-ONE 46th Anniversary"は2012年7月16日(海の日)に開催致します。

2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催決定