東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

「体を操る」と「操る体」。

こんにちは。
ロンドンオリンピックも今日までですね。
最終日の競技や閉会式は、家に帰ってからニュースで見ることにしますが、閉会式などは、さぞや派手で豪華な演出がされているのでしょうね。世界中の注目を集め、しかも4年に一度のことですから、盛り上がりますよね。

盛り上がりながら選手の結果に一喜一憂し、同じ国の人間がメダルを取れば嬉しくなってしまう。特に私みたいにテレビのニュースで見る人間は、ハイライトの良いところばかりを見て、はしゃいでいる。しかし見てないところでも色々なドラマがある。
 ちょうど一週間前の日曜日の夜に、テレビの生中継を2時間ほど見ていたが、体操の女子跳馬で着地に失敗し、膝か脚のどこかを痛めてしまった選手がいた。その選手は果敢にも2回目の演技に入り、力強く助走していったが、踏み切り板手前で止まってしまった。なんとか期待に応えたい気持ちだったと思うが、からだがついていかない感じだった。その後どうなったか気になり、調べてみても、メダルを取った選手を称える記事ばかりで、この選手のことは名前と0点という結果だけが書かれていた。
 この場面のことを思い返すとギクッとする。もちろん怪我をした選手のことも気にかかるが、何か違う意味でもギクッとする。そして、橋本敬三先生の次のような言葉が浮かんでくる。
今のスポーツっていうのはレコード(記録)をあげるってことでしょう。そっちのほうにいってしまっているから、だから軽業師みたいになっているんです。この間、僕は本を出す人に序文を書いてくれっていわれたから、スポーツをみんなやっているけれども、あれは見世物だっていうの。ところがね、見てるほうってのは残酷ですよ。選手が怪我しようと何しようと、巧いことやれば拍手喝采だけども、選手が怪我したって見てるほうは平気だから。やってるほうは一生懸命にやるんだけども、それは何にも健康には関係ないと思う。
これは橋本先生が、NHKラジオ第1放送に出演した時に語っていた内容だが、「生体の歪みを正す」の本の中にも収められている。
特に「やってるほうは一生懸命にやるんだけども、それは何にも健康には関係ないと思う」という言葉は、ある意味ショッキングだと思う。しかし、実際にスポーツを一生懸命やっている人ほど、持病や不快症状に悩まされていることが多い。なぜなのか。先ほどの跳馬の場面のように、常に危険と隣りあわせで怪我もつきもの、ということもあるだろう。しかし、もっと根本的な部分で、健康にはつながらない理由もある。
体を操ると書いて体操と読む。この場合、主体は自分の気持ちということになる。つまり自分の気持ちで体を操る。スポーツは全般的にこのような考え方だと思われる。だから応援も「頑張れ、頑張れ」と声援を送る。しかし、操られる「からだ」の方はどうなのだろうか。からだの使い方、動かし方を知っている人だったら、そんなに無理は生じないと思うが、それを知らずに、自分の「記録をあげたい」「出来ないことをやってやる」といった気持ちだけで、からだを操っていれば必然的に無理が生じてしまう。無理が生じれば、からだがついていけなくなり、気持ちと対立してしまう。そこから更に無理を重ねれば怪我もしやすくなる。これでは健康につながるはずもない。
自分の動きとからだの動きは違うということだ。からだは自然法則に則った動きを元としている。何故なら、からだは元々自然だからだ。自分が自然から遠のくほど、からだは歪体化し、動き(連動)にも不自然さが生じてくる。だから、人間社会で生活している以上、100点満点の自然体をキープしている人などいないと思われる。どんな人でも必ず歪みはあるということだが、歪みを補い、間に合った状態にしてくれているのも、からだなのだ。だから、みんな生かされながら生きていられる。こういったところに意識を向ける必要があるのではないだろうか。「やってやる、やってやる」で上手くいっているうちは良いが、それがキープできるとは思えない。その反動もあるだろう。何よりそこで人生が終わる訳でもないのだから。人生はトーナメントではないのだ。生きている限り、からだと上手く付き合っていくべきだと思う。
操る体と書いて操体と読む。こちらの主体は、あくまで「からだ」だ。からだの要求をききわけながら操るのだ。何をききわけるのか。元々、誰にでも備わっている原始感覚で快、不快をききわける。不快であれば、その動きを中止する事。快であれば、その快適感覚でからだを操るのだ。そうやってバランスをとっていく。しかし、自然から遠のいた自分の動きで、からだにききわけても感覚はわかりづらい。からだは元々自然なのだから、からだの求めている自然法則に則った使い方、動かし方を基準に動かして、感覚をききわけるのだ。それが自分と自身の調和につながり、その経験を元にスポーツに応用していけば良いと思う。つまり、バランス(肉体的な面だけではない)を調整してから鍛錬をするということだ。そうすればスポーツのあり方は、また違ったものとなり、健康と結びつくものとなってくるのではないだろうか。


一週間どうぞ宜しくお願い致します。

2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催。