東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

松丸本舗 閉店へ

こんにちは。畠山裕美です。一週間よろしくお願い致します。

本は私の人生と言ってもいい。親が言うには、三歳の時、住んでいた団地の子供図書館に一人で行って、本を読んでいたらしい。今でもその本は覚えている

もぐらとずぼん (世界傑作絵本シリーズ―チェコの絵本)

もぐらとずぼん (世界傑作絵本シリーズ―チェコの絵本)

この本なのだ。私が当時読んだ本がまだ売っているというのは、何とも素敵なことではないか。それ以来、私はずっと本を読んでいる。とにかく何でも読むのが私のやり方である。

全国操体バランス運動研究会で、若い頃温古堂に出入りしていたという、加藤平八郎氏が、研究会で「読書」について話をされたとき「本を読むのが苦手、という子は、読み方を知らないからだ」「読書もスポーツだ」という話を聞いて「なるほど」と、思ったことがある。字が読めない子供には、お母さんやお父さん(お父さんのほうがいいかも)が読んであげるといいのではと思う(ちなみに私は子供の頃、父親のヘンな昔話を聞いて毎日寝ていた)。

子供ではないが、本を読むのが遅いとか、苦手な人は「読んだものを全部理解しようとして、あるいは覚えようとして読む」ように思える。
最初から読まなければいけないとか、今読んでいる本を読み終えなければ次の本は読まないとか、大抵そういうシバリを自分で作っているような気がする。本はもっと自由に読んでいいのだ。

「本が嫌い」という原因作りの一つに「夏休みの読書感想文」の弊害があるのは明らかだ。
私が小学校の時、同じクラスに(千葉市の埋め立て地にできた新しい学校だったので、転校生が毎日入ってきた)、小学校二年の時、千葉市の小学生読書感想文の大会で、ベストを取った女の子が転入ってきた。いわゆるアタマのいいコで、後に上智を出た。いつも優秀な姉と比較されていた妹さん(私も知っており、よく遊んでいた)は、大学生の時に、稲毛の団地から身を投げて、短い生涯を終えた。

話は戻るが、私達のクラスの担任の先生は「彼女にのみ、読書感想文を書かせ、それを市の読書感想文委員会に出した」ことが後でわかった。私も感想文を書いて出したが、当然「範疇外」だった。
それはさておき「読書感想文」というのはどうもウソくさい。大抵課題図書が決まっていて、大人が「こういう模範的な感想を書いたら良い点をあげるよ」みたいな感じである。
多分、本当に感じたこと、思ったことを書くと、絶対いい点は貰えない。子供もそれは敏感に感じ取る。だから「読書感想文って苦手だなあ」と思うのだろう。

夏の思い出である。

知の編集工学 (朝日文庫)

知の編集工学 (朝日文庫)

大手町丸善OAZOには、松丸本舗という不思議な書店がある。松岡正剛氏の「松」と、丸善の「丸」からの命名だ。
三年前の開店レセプションの際には、私も顔を出した。一度行ったら忘れないような空間である。自宅からも割と近く、大手町は移動時に乗換したりするので、よく寄っていた。通常の書店では見かけないような、個性的な本が揃っている。本のカバーにもセンスがある。折々に楽しいイベントがある。福原義春さんの書棚はじめ、松岡さんと親しい方々の書棚が再現されている。
一度足を踏み入れると、暫く出られないような、迷宮のような造りになっている。大島弓子の「ちび猫絵本」(この本は、猫好きが読んだら絶対泣く)を買い、エイミー・ベンダーの「燃えるスカートの少女」を買ったところだ。ご想像通り、ベストセラー本が山積みになったりはしていない。
橋本敬三先生は読書家だったそうだが、お連れしたらきっと面白がっていただけるのではないかと思う。

ちびねこ絵本 (白泉社文庫 お 1-19)

ちびねこ絵本 (白泉社文庫 お 1-19)

燃えるスカートの少女 (角川文庫)

燃えるスカートの少女 (角川文庫)

今年の秋のフォーラムの講師は、松岡さんの実戦部隊として活躍されてきた、慶應義塾大学SFC講師(ネットワークコミュニケーション実践)、太田剛氏にお願いしている。
昨年の京都のフォーラムにも、川崎隆章氏、大阪のアートディレクター、荒木基次氏と共に参加して下さり、京都の鴨川沿いの「床」つきの旅館で深夜まで皆で話し込んだ。

今年の春、松岡さんに「『操体』という言葉を説明するのは『編集』を説明するくらい、タイヘンなんです」という話をしたことがある。
「へえ」と、興味深そうに聞いて下さった。
ISIS編集学校」は、開講して12年か13年になるが、私は丁度12年前、第二期に参加した。

私達操体実践者がよく困るのは「整体とどう違うんですか」(いやちがうんですよ・・)あるいは、指圧の浪越先生のポーズをしながら「マッサージ?」(それは指圧・・・)と、聞かれることだ。
それと似たようなもので「編集を勉強してます」と言うと「赤ペンで修正するヤツですか?」(それは校正・・・)「シナリオを書いてるんですか?」「雑誌の記事を書くんですか?」と、様々な答えが返ってくる。
「編集」も「操体」も色々な切り口があるからだ。

松丸本舗閉店」のニュースが流れた時は、驚いた。

その後すぐ、7月28日「松丸主義の日」イベントがあるというので、早速大手町まで出かけた。開始時間は15時だったが、私が着いた頃はまだ人もまばらだった。知っている顔をちらほら見かけて挨拶した。本棚に寄って安田登氏の「身体能力を高める「和の所作」」を手に取って、ふと横を見ると、松岡さんご本人が書棚を色々チェックされていた。
いつもとはちょっと違うスタイルだった(丸いサングラスに帽子)。挨拶し「今日はいつもと少し雰囲気が違いますね」と言ったところ「僕は今日、職人だからね」と、笑っておられた。「そういえば、この前慶應の講義にも来てたよね」とか、少しだけ立ち話をして、おいとました。
その後、会場は8時くらいまで盛り上がったようだが、私は猫を病院に連れて行くという役目があり、早々に退散した。

身体能力を高める「和の所作」 (ちくま文庫)

身体能力を高める「和の所作」 (ちくま文庫)

2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催

丸善から丸善書店が分社、一等地に見合う売り上げが上がらなかったなど、理由はあれど、非常に残念に思う。

思うに、一度「知のシャワー」を浴びると、クセになるのだ。「快の回路が開く」のと同じように。
ものを知る、新しいことを知る、違うモノだと思っていたことが、実は全て繋がっていることがわかると「楽な動き」ではなく「快適感覚」でなければ、イノチが、からだが喜ばなくなるのと同じなのだと思う。松丸本舗は、そんな「知のシャワー」を浴びることができる場所だ。閉店まであと一ヶ月ちょっと。機会があったら是非足を伸ばしていただきたい。

JR東京駅前の丸善丸の内本店に2009年、編集工学研究所長の松岡正剛氏のプロデュースでオープンした実験的な店舗「松丸本舗」が、9月末で閉店することになった。

 同店4階の200平方メートル余りの空間に迷路のように書棚を配置。ジャンルや著者による分類にこだわらずテーマごとに特集したり、読書家の書棚を再現したりするなど様々なコーナーを設け、5万冊の本との意外な出合いを演出する仕掛けが話題となった。アマゾンなどのネット書店に対抗する試みとしても注目されたが、東京駅の目の前という一等地に見合う売り上げを上げられなかったのが理由のようだ。

 まとめ買いする客が多い反面、ユニークな空間を見るだけの人も少なくなく、1〜3階の一般売り場に比べ、売り上げでは苦戦。実際には松丸本舗目当てに来店した客が別の階で本を買うことも多く、「集客のための宣伝効果やイメージアップ効果は大きかった」と松岡氏は言う。しかし、10年には丸善から丸善書店が分社し、丸の内本店は丸善書店に移管。松丸本舗だけは丸善にとどまったため、単体での売り上げ増を求められたことも響いた。

 松岡氏は「委託期間は3年で、丸善としてはこれ以上続けられないということだった。別の場所に移して続けようと模索したが、難しかった」と話す。

 店員が客に話しかけて本を薦めたり、本を棚に横置きしたり、棚に推薦文を書き込んだり……。書店の“タブー”を破る数々の試みは、店内のデザインやレイアウトも含め、他の書店や書店員に影響を与えた。ユニークな試みを続ける書店は各地にあるが、全国有数の大型店で実験的な売り場を展開し、書店の新たな可能性を多くの人に知らしめた意義は大きい。

 書籍・雑誌の売り上げが7年連続で減少し、全国の書店数も1万5000を割るなど、意欲的な店作りと業績を両立させることはますます困難になりつつあるが、電子書籍時代を書店が生き抜くためにも、松丸本舗の“遺産”が継承されることを望みたい。(文化部 多葉田聡)
(2012年8月3日 読売新聞)

なお、松丸閉店、のニュースが流れてから、「松丸」のコドモのように、従来の常識を破るような個性的な本屋が続々と誕生している。

2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催