東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

「人生の豊かさ」について 〜その6〜

今日は昨日の続きで伊東豊雄さんの言葉を紹介していきたい。

「東京が失ってしまった豊かさが東北には残っている。なぜ豊かかと問われれば、ここには人と自然とが一体化された世界が存在しているからである。人々は未だに自然の恩恵で生きている事を幸せに感じている。だから自然の猛威に屈伏しても決して自然を怨むことはないし、自然への信頼を失う事もない。何度津波に襲われても再び海辺に戻ってきたいと願う人々の姿がその証である。」

『あの日からの建築』より(伊東豊雄 集英社新書

この伊東豊雄さんの言葉で私達には「自然に生かされている」という潜在意識が在るのを再確認することが出来た。あれだけの災害にあっても自然に対して文句を言わない。それは私達は自然の恩恵無くしては生きていけないということを無意識に悟っているからである。そして私は裕福がいかに貧しいことかとも感じた。私は産まれてからずっと32年間東京で暮らしてきたのだが物は当たり前のようにあり、生活には不自由を感じた事もあまり無かった。しかし贅沢な悩みなのかもしれないがそういった「当たり前」に在る事が自分を縛り付けているような気がしてならない。無い事がどれだけ自由なのかと思う。
伊東豊雄さんは上記で書き記した以外にもこういった事を書かれていた。

「(仙台の町を歩いた時に)人々の表情が意外に明るかったことが印象に残っています。中略 あ、みんなどうしてこんなに明るい顔をしているのだろうと。人はすべてを失ってしまった時、悲しみを越えて純粋な気持ちになれるからでしょうか」

本当の「豊かさ」とは人の中に自在して在るものだと私は思う。被災地の方達をTVや雑誌等で見る度に胸が痛む。しかしあの時の事は被災地の方だけでなく私達に大切な事を教えてくれた気がするのだ。それは「命の豊かさ」であり、そこには人間が持った執着や嫉妬といった概念は存在しない。「神聖」という言葉は適切かは分からないが人間誰もが持ち合わせいて、橋本敬三先生が言われている「神からの授かり物」の一つなのだと思っている。

最後になるが私自身今まで見てきた数々の建築家の作品は「素晴らしい」と思う反面、どうか「個人主義」を感じてしまうことが多かった。しかし伊東豊雄さんの「せんだいメディアテーク」や「みんなの家」等を見て本来人間が求めている建築の姿を見れたような気がした。それは人と人とがふれあい、そして自然と共存していける建築であり、それは決して「美」を求めた作品としての建築ではない。伊東豊雄さんの作品や本を読んで皆が求めている建築の姿に「命の豊かさ」を感じることが出来た。