みなさん、おはようございます。
一週間よろしくお願い致します。
小十郎君ごくろうさまでした。捨て猫であんなに小さかった小十郎君がブログを書けるほど大きくなったのも、彼の生きたいと いう強い意志と2人のご主人様の寛大な愛があったからだと思います。シモン君の兄貴(笑)としては嬉しく思います。
今回のテーマである「おさめ」について各々の思い、考えを見て思ったことは「おさめ」とは私達の普段の命の営みの中で常に行っているということ。
「ありがとうございます」
「ごめんなさい」
「おはようございます」
「おやすみなさい」
「いただきます」
「ごちそうさま」
こういったコトバを自然とコトバにすることで命の営み一つ一つが丸くおさまり、キレイに循環するようになる。
私達が普段さりげなく口にしているコトバには生かされていることへの感謝の気持ちを込めるのと同時に一つ一つの行為を自分自身にある神性におさめているのだと思う。
一日が始まりは生かされていることへの感謝のコトバから始まり、終わりを迎えることにまた感謝を告げて一日をおさめる。
人生はこのように「おさめ」で始まり、「おさめて」終えることの繰り返しなのだろう。
このように当たり前に口にしているコトバの意味を租借していくと、当たり前の事の中にとても大切な事が隠されているようにみえる。
昔の人たちはきっと普段から使っている言葉を自分自身の中に在る神性に響くように、そして丸くおさまるように改正していき現在のコトバがあるのだと思う。
私達はこういった祖先の遺産を大切に使わせて頂けることに感謝しなければならない。