いよいよ一週間の秋穂のブログも後半の5日目です。
今回私自身の弱点を掘り下げてみようとブログのテーマにしてみたのですが、
こんなテーマを選んでみたのも単なる思いつきではありません。
昨年一年間を振り返ってみて本当に迷いの多い一年でした。
その迷いの中には操体に直接関するものもあれば、職場での問題から、
家族内でのてんやわんやまで本当に我ながら良く迷えるものだと感心したくなる程です。
そして私自身がその迷いの中でおぼろげに感じたことなのですが、
たまには迷ってみるのも面白いということでした。
実際に私のトラブルに巻き込まれてご迷惑をかけた方々もおられるので
無責任なことは言えないのですが、その迷いの中で周囲の人から暖かいご指導を頂いたり、
様々な形でサポートの手を差し出していただいたりと
本当に自分ひとりで生きているのではないという実感、
多くの人たちとの繋がりの中で自分自身今こうして過ごしていられるのだ
ということを意識することが出来る様になって来た気がします。
改めて個ではない自分自身と向かい合った時に、
無責任で入られない衝動が湧いて来ました。
これは仕事だけに限らず、自分を取り巻く本当に全てのことに関して責任と云うか、
意識を持って接して行きたいと思える様になったからこそ、
迷いも生じて来たのかもしれません。
今日のタイトルに持って来た
『人間は、努力するかぎり迷うものである』
という言葉はドイツの詩人ゲーテの言葉ですが、
操体的に表現するのであれば、
自分自身の人生をこころとからだにききわけようと意識し始めたのでしょう。
何も考えず与えられたものを受け取っている分には、選択の余地はないし、
責任も発生しないのかもしれません。でも自分が迷いながらでも選択したものには、
自分の意思に対する責任があります。
自分が選んだのだから、いい加減には扱えないと云う思いと、
自分が折角手に取ったものだからこそ、
もっとより良いものに磨き上げて行きたいと云う
愛情が芽生えて来る様に思えるのです。
その内自分自身の感性が磨かれてくれば、
迷わなくても最高と決定が下せる様になるのでしょうが、
それもあれこれと試行錯誤の中多くの選択をして行くことで
磨かれてくるセンスなのでは無いでしょうか。
それでは明日もよい一日をお過ごし下さい。
この岩がゾウにみえるかどうかは問題だぞう?