私が操体と知り合う遥か前、私が治療家ではなくミュージシャンを夢見ていた時期があった。その頃の私にとってのアイドルは今回のブログの初日に取り上げたポールマッカートニーとともにビートルズの中心メンバーであったジョンレノンだった。
僕が初めてジョンレノンの曲を聴いたのは中学校1年の英語の授業中に彼の『imagine』聴かせてもらった時だった。それまで英語の曲なんて聴いた事無かった私は、その時に突然大人になった様な不思議な感じがしたのを覚えている。熱しやすくて冷めやすい福岡県民の典型の様な私はすぐに近所のレコード屋で彼の自伝映画『imagine』のサウンドトラックのカセットテープを買ってひたすら聴いていた。
『imagine』『(just like)StartingOver』『MindGames』『Women』『jealousGuy』etc.
その頃には、すでに彼はニューヨークでマークチャップマンという狂人の銃撃により帰らぬ人となっていた。卵から孵ったばかりのヒヨコが初めて見たものを親だと認識するように、彼の音楽、彼の思想、彼の生き方にあこがれ、彼のように唄い、彼のように重い、彼のように生きたいと思っていた。
彼の音楽の持っている独特な思想・哲学にとにかく憧れた。彼は愛と平和を音楽と云う形で世界中に発信された。彼の想いが行動となり、世界中の人々の共感を呼び起こし、死後33年を経過しても未だに彼のメッセージが世界中のテレビやラジオから聞こえてくると云う事はそれだけ世界中に浸透していると云う事になるのだろう。
私はミュージシャンを夢見る学生からいつのまにか治療家の道を歩き始めて操体との御縁を頂いた。操体の思想の中にも、世界中の人に対しての愛、平和への願い、健康で幸福な社会創造の可能性を感じる。操体を通して何事もバランスが大切なのだと云う事を学ばせていただいているので、多少は性格の偏りも正されて来たかもしれない。しかし重心が未だ安定しないのか、左足の魚の目は中々消えてくれない。更なる精進が必要だ。
そんなこんなでいつの間にか音楽ではなく、操体の治療家として生きる事が自分自身の目標となっている。そして操体を学び実践して行く事こそが自分自身の理想とする人間像に近づくためのプロセスだと感じている。勿論、操体の治療家としてもまだまだ未熟で、理想の人間像からはほど遠く、ジョンレノンが願う理想的な世界まで到達するのは当分時間がかかりそうだ。だからといってどんなに急いでみてもウサギとカメのウサギには成れそうにないから、これからも一歩一歩カメのように歩きつづけてみようと思っている。
橋本先生、三浦先生、東京操体フォーラムを通じて操体の学びを共有させていただいた皆様、貴重な時間を与えてくださり本当に感謝いたしております。明日からは岩吉実行委員の出番です。それでは張り切ってどうぞ!