東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

掃除。

おはようございます。
今週は友松が担当させていただきます。
一週間どうぞよろしくお願いいたします。

今日は今年最期の日曜日という事で、しっかり大掃除をして、新年を迎えようという人も多いのではないでしょうか。

 先日、インターネットを開いたところ、ニュース欄に「「なぜかいま、掃除する経営者が増えている」というトピックがあった。クリックして記事を開いてみると、「カレーハウスCoCo壱番屋」の創業者の方が紹介されていた。
 この方は、創業した企業の経営を順調なまま後進に譲り、名古屋に私財を投じて音楽ホールを建て、現在はそこのオーナーをされているとの事。
 そして、駅からホールまでを毎日掃除しようと思い立ち、以来6年、雨の日も風の日も台風の時も休むことなく、ゴミを拾い、雑草を抜き、花を植えるのを趣味にしているのだという。

 この方は、インタビューに対し「掃除をして悪いことはひとつもない、ただ辛いだけです。他人に勧めても、まぁやらないですよね(笑い)。それでもいいんです。花が咲いていても気づかない人だっているんです。掃除をやるのはその地に根を下ろすこと、心がこもっているということの表現。実は掃除には即効性はないけれど、ジワジワと姿勢がよくなってくるんですよ」と語っている。

 さすが、長い間毎日一つの事をきらさずコツコツ続けてきた人の言葉だと感じる。姿勢というのは、肉体的、形態学的なことを指す場合もあるが、物事に対する向き合い方、態度を指す場合もある。その場その時によって意味合いは違っても、別々ではなく密接に係わり合っている。形態学的姿勢は、感情や呼吸によって大きく変化するのであるから、物事への向き合い方、態度、というのは非常に大事であり、そういった精神的な面が姿勢となって現れている。

 掃除というのは、日常生活の中で不可欠の行為である。「そんなの無くてもいい」という人も居るかもしれないが、掃除が出来るという事は人間である証でもある。他の動物は、毛繕いは出来ても、身のまわりの整理整頓をしたり、きれいにする事など出来ないのだから。

 そう想うと、掃除をするのは単なる美意識からではなく、人間の品性からであるような気がする。やさしさをはじめとする品性だ。物に対するやさしさ、物を使う人へのやさしさ、思いやり。
 どんな物でも汚れたままにしておけば、その機能を十分に発揮できなくなり、廃れるのも早い。使う人もその影響を受けてしまう。
 物も人も全てが快適な方向へと向かえるよう、空間調整するのが掃除であり、他の動物からしたら神と同じような所業をしているのかもしれない。だから掃除もより良く発展していくものでなければならない。

 そして、その業は品性を磨く業であり、その時々、時節が変わろうとも、その空間に存在する全てが、快適な方向へ向かって調和できるよう、毎日続けることに意義があるのだと思う。その時候によっては手が傷むほど、水が冷たい時候もある。カンカン照りで立っているのさえ辛い時候もある。
 このような肉体的な辛さから、やめたくなる時もあるだろうが、創意工夫して続ける。手元に何もなくとも、からだの使い方、動かし方、息のつき方を自然法則に準じて応用するだけでも、肉体的辛さは和らぐのだから。

 また、「何でこんなものを、こんなところに捨てるんだ」とか「せっかく綺麗にしたのに、何でまたすぐに汚すんだ」と怒りの感情を露わにしたくなる時もあるだろう。
 しかし、そんな時もやさしく、その空間の存在する全てが快適な方向へ向かって調和できるよう掃除を続ける。そこに精進があり、品性も磨かれる。
 そして、この方の語るように「実は掃除には即効性はないけれど、ジワジワと姿勢がよくなってくるんですよ」という事につながってくるのだと思う。


釈迦も掃除の功徳について、次のように説いているという。
・自心洗浄・・・自分の心が清められる。
・他心洗浄・・・他人の心まで清めることが出来る。
・諸天歓喜す・・・周囲の環境が活き活きしてくる。
・端正の業を植ゆ・・・周囲の人の心も物事も整ってくる。
・命終の後、まさに天井に生ずべけん・・・死後、必ず天上に生を受ける。