東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

体験。

こんにちは。

今日で、今回のブログ担当も最後となりました。
今回は、経営の神様とまで崇められた経営者、資産家である松下幸之助氏と、操体の創始者である橋本敬三先生について、あれこれ書いてきました。

 お二人とも、この世で成してきたことは違う。みんな、それぞれ個性をもって、この世に生まれてきている訳だから、違って当たり前であり、比較しても仕様がないことだと思う。しかし、成してきたことの原動力となっていた想念には、共通したものがいくつもあるように感じられた。

 松下氏は、はじめから資産家であったわけではない。家庭の事情で、小学校を中退し、9歳の頃から丁稚奉公に出されたという。そこでの色々な体験は、単なる知識として得たものと違い、いつまでも身についており、いかようにも応用が利いたという。そして体験というのは、ただ体験すれば良いというのではなく、その体験の味をかみしめる事が重要、と著書の中で書いている。

 操体操体法にもつうじるものがあると思う。温古堂先生語録にもあるように、橋本先生はよく「やじ馬でなければダメだ!嘘か本当かやってみよ」と仰っていたと聞く。
 また「動物は学問しない。しかし人間は理屈ばかり言っている。知識で判断するから間違う」とも仰っていたと聞く。

 見たり聞いたりしただけの頭の知識では、その本質までは捉えられないものだ。ものごとの本質というのは、本当にシンプルで、そして奥の深いもののようである。しかし、シンプルゆえに、頭の知識で判断してしまう。そして、表面的なことだけで、簡単なものと片付けてしまう傾向があるようだ。
 しかし、人間の頭の知識など、本質というそのものの根本にあるものに比べれば、たかがしれている。実際にその本質に触れてみようとする「やじ馬根性」というのは大切なことだと思う。

 嘘か本当か、頭だけで判断するのではなく、実際にやってみる。しかし、ただ単にやれば良いというものではない。やってみるという行動には、必ずからだの感覚が伴う。その感覚をききわけることが大切なのだ。創造主の理念が貫通し、それによって快か不快かを識別する能力である、原始感覚が備わったからだにききわける。これほど確かな判断基準はないと思う。
 知識で判断するから間違う。いかに科学が進歩しようとも、人間は人間を創れないのだ。コピー人間は遺伝子操作によって作れるかもしれない。しかし、創れないのだ。いくら利口ぶったところで、宇宙の根源とか太極とか呼ばれる創造主には敵わないということ。

 人に親切にする場合でも、大抵は自分が気持ちよさを体感したことを、まずはじめにしてあげようとするのではないだろうか。それが自然だと思う。頭で考えた気持ちのいい事を人に施す場合は、なにか迷いが生じるように感じる。
 体感した気持ちよさを体験という財産にかえていく。松下氏が語る、いつまでも身につき、いかようにも応用が利いたという丁稚奉公での体験は、そういうことが土台にあったのではないかと感じる。
  


年末年始のお忙しい中、お付き合いいただき
ありがとうございました。
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