東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

イノチ×操体×プロセス

先日、テレビで芸能人が数日間の「サバイバル生活」を体験する番組を見た。
砂漠、極寒、無人島、ジャングル。
各々がそれぞれ全くことなる環境で、使用を許可された道具を用いて、工夫をこらして生活をする。
数時間に及ぶ内容だったが、その様子をついつい最後の方まで見てしまった。

中でも、おかれた環境の中で、「食糧」を自分自身で調達し、口にする。
その様子は興味深かった。
なんだか、とっても「美味しそう」に見える。改めて、「なぜなのか」と感じた。

口の中に入ったものが、味覚として、栄養として
からだの中に染み渡っていく。
不思議なもので、その味わっている「感覚」を
画面を通して、ともに味わっているような感じさえした。

しかし、その時、口にしていたものは
「日常生活」であれば、決して口にしない類いのもの。
捨ててしまうようなもの。
ジャングルの川で、罠をしかけて捕まえた「小さな小さな魚」や
灼熱の砂漠の中で、植物の蒸散から採取した「濁った水」

それは物理的な量としては
腹の足しになるはずのない、ほんのちっぽけなもの。

しかし、そこから受け取っているモノは
目に見えているその「量的」な印象を越えて
「ウンメェ〜!!!」
という悦びに現れていた。

まったくもって「当たり前」なことだけれども
そこにはやはり「プロセス」ということが
密接に関わっているのだと感じる。

『プロセス』

同じように日常生活の「食」に視点をおいてみれば
このプロセスの質は全く異なっていて
腹が減ったら、オカネを持っていき
食べたいものと「交換」することができる。
都心にいれば、時間に関わらず
制限なく何かを口にすることが簡単にできる。

自分自身で担っている、その自己責任の割合は
「オカネ」を手にするまでのプロセスや
逆に「欲」をコントロールすることに、代替されている。
ということは、日常生活のなかで
「食」そのものに関わるプロセスは
極々一部となっているのかもしれない。

サバイバル環境では
「食」のプロセスを
操体で言う「息食動想・環」
その「同時相関相補連動性」のなかで
自己責任をもって、全うしていかざるを得ない。
それはかかるべき時間をかけながら生きる
「イノチのプロセス」に共振していくことなのではないかと
感じている。

操体」を通して、イノチのプロセスを学ぶ。
そこに、都会で生きる自分自身にとっても
重要なヒントが在ると感じている。