東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

昨日からの未来[岡村郁生(おかむら いくお)]

「万病を治せる妙療法」この橋本敬三氏の著書は一番売れているらしい。

万病を治せる妙療法―操体法 (健康双書ワイド版)

万病を治せる妙療法―操体法 (健康双書ワイド版)

橋本敬三師の書を22歳の私が初めて手に取り、読み進めていると妙な
興奮と同時に気分のいい眩暈がしたのを覚えている。

その理由は、『これを学んでいけば・・・僕は、ヒトを傷つけずに生きて
いくことができるかもしれない!』という希望だったのである。

多分、恵まれた家庭環境にて両親の愛を何不自由なく深く受けて育ち、
太陽を浴びて育った、柑橘系のような爽やかな人間は、理解できない
かもしれないが、太陽の光り降り注ぐなか、急にそれを断ち切られて
外の世界も見えず、我が身の自由を拘束されたことのある人間ならば、
理解できるかもしれない、そんな人生観もあるだろう。

あまり良い表現ではないが、”鉄砲玉”という役割がある。
限られた環境の中、必死に自分をみつめてあがき、信じ抜きたい故に
、例えそれが欲であったとしても、その役割がどんな理不尽であった
としても、受け入れてしまう人間はいつの世も存在してきたのだから。

禊ぎの写経は、始まりから中盤まで、ひどい自己葛藤に苛まされた。
読むのと違って、書き写している自分を常に否定しようとする自分が
居て、『なにやっちゃってんの?一体何の役に立つの?その時間でも
っと他の本を何冊もよめばいいのに!』『書くこと一回よりその時間
で内容を五回以上繰り返したほうが頭に入るって知らないの?』等々。
今まで蓄えてきた知識ある自分は、ただ黙々と写経している自分を隙
あらば否定しに来るのである。それは厳しく激しい攻撃であった。

そう、いつもこれで止めてしまう・・・しかし、今回だけは違った。
イライラしながらも、そんな自分を赦し、そんな感情を見詰め、また
受け止め、打ち勝とうとする自分をも見詰め、そのかたくなさを赦し、
少しづつ、少しづつ、何を赦しているのか?何を溶かしているのか?
それを、ただただ写経しながら在る自分もいて、ただ頼もしかった。

その自分とは、今まで出会えなかった姿でもあり、ひたすら娘からも
らった文具と、家内からもらったノートに勇気をもらい、起きては書
き、仕事の合間に書き、プライベート一切を削り、食べることを惜し
んでは書き続けて、夜はひたすら泥のように眠ってまた起きて写経。

残り三分の一を超えた頃、ランナーズハイが如く、丸々一日中座って
いるにも関わらず、カイているのが紙でも"気持ちよくなってくる"。
マス目にひたすら言葉を埋めているのに、囲炉裏で寛いでいるような
なんとも言い難い至福の感覚さえ感じられつつ・・・マスにカク。

それは非日常であり、常に「息」と「軸」について四六時中向かう。
書く自分、読む自分、イメージする自分、橋本敬三師の想いまでもが
現れてきて、少しづつ”自分という必要のない姿”を上空に巻き上げ、
必要な姿だけを映し出しては削っているのであった。

削っていくといえば、丸太をノミとカンナで削って仏像を彫ることに
似ているのかもしれないし、真っ白なキャンパスに下地を描き、そこ
で表現できる全てを満たしたあと、また真っ白に塗りつぶし、本当に
描きたいことを、もう一度塗りしていくことにも似ている気がする。

どちらにしろ、禊ぎを感じていることは確かであり、そこに藭はいる。
藭なんて言葉を用いなくとも、”からだは悦んでいる”それが『愛』。

ふと、職場に入って声を上げて唱えている儀式を思い出してきた。

 この世に生を受けたこと 現象以前の救いである 
 このサトリを得たものは 人生の至福を得たものである
 己自身の光で 変わりゆく自然をみる すべてによしと
                    (御言霊より)

感謝しなくっちゃバチがあたるッてのは・・・ホントなのだ、ありがたい。


※愛の一言:幸福を受け、幸福を送るのは常に人間の悦びである。
      愚か者は幸福がどこか遠いところにあると思い込むのだが
      賢者は幸福を自分の足元に育てているのである。