ご無沙汰しております。
畠山裕海(はたけやまひろみ)です。
一週間よろしくお願い致します。
愛の反対側にあるもの。
今回のブログの共通テーマは「愛」だそうです。
「哲学」とか「操体」とか「編集」という言葉くらい
幅広い言葉ではありませんか。
愛の反対語は「怖れ」だといいます。
というわけで、最初に「愛の裏にあるもの」を考えてみたいと思います。
私は陰陽があるように、どちらも必要だと思っています。
今が陰の時代だからといって、陽をバカにするとか、ないがしろに
しているわけではありません。
また、左目を重視するからと言って、
右目をないがしろにするわけでもない。
快の対極に不快があるとしても、
不快あっての快かもしれないと思います。
ある宗教家の先生の本に書いてあったのですが、
最近のポジティブ過多のいわゆるスピ系というのは、
光しか見ないのだそうです。
そうすると、死とか闇とかの存在を無視するようになり、
仏像を素直に拝んだりできなくなるとか、そういうことも
あるようです。
また、中世の魔女狩りは、
余りにも「光」を崇拝しすぎて
逆に邪悪な存在、つまり悪魔を作ってしまったこと、
厳しい教会の戒律のプレッシャーにより、
聖職者達がその対象を「魔女」に向けて
残虐なことを行ったとも言われています。
つまり、あまり「光」にばかり目を向けていると、その結果
「闇」、つまり「悪」を作ってしまうのです。
なるほど。
もう一人、あるスピリチュアル系の指導者は、
陰と陽、光と闇、オトコとオンナ、裏表というものがあるし、
昼の顔、夜の顔というものもあるけれど、
その裏側は、あまり意識を置くものではない。
意識したものが、拡大するから。
なのだそうです。
この二人、どちらも一理あると思うのですが、
裏表、陰と陽、昼と夜、光と闇、
物事は対になっています。
光と闇、この「光」ばかり見ていると、
逆に「闇」が拡大する。
反対に「闇」にばかり意識を置くと闇も拡大しちゃう。
どちらもある、と認識して、こだわらないのが一番なのかもしれません。
愛というのは片方から見ただけでは、その本質が見えないようです。
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