おはようございます。
今回のブログのテーマは「シンカ」と聞いて、思い浮かんだものに「真花」というのがありました。関東甲信はやっと長い梅雨が明けたようですが、梅雨の季節の代名詞でもあるアジサイには装飾花と真花があります。はじめに大きな花びらのような装飾花が咲きますが、この装飾花がいくら派手に大きく咲こうと開花とは呼ばないそうですね。中心にある小さくて地味だけど生命力に富む真の花、真花が咲いてはじめて開花と呼ばれるそうです。
アジサイの時節はすでに過ぎていますが、真の花という言葉は以前に三浦寛先生からいただいた言葉の中にあったと感じ、古いノートを辿っていくと、平成16年のノートに書き写したものがありました。
その時の時流にのって時とともに枯れていく花(時分の花)となるのではなく
年輪を重ねる中でみがかれ華をはなつ真の花になれ
先生は、当時入門したての私達の為に、世阿弥の言葉を参考にわかりやすいように、これからの指針を示してくれていたのだと感じます。
ノートを再度見直していると、この言葉の2行空白を空けた上に、このようなことが書いてあります。
操体=命の営みと摂理を学ぶ。体系付けられたものではない。
とありました。
昔から本当にブレないですよね。その時々新しいものは取り入れても、それが主ではない。主柱は、生命の本質とかイノチの本質を学ぶという事であり、その時々に新しいものを取り入れても、必ず主柱に還っていく。主柱から真価を見究めながら、真理を求め年輪を重ねていくという事なんですね。
創始者の言葉に「野次馬でなければダメだ」というのがあります。勿論、好奇心をもって学ぶという事は大切ですが、主柱や志柱のないまま、あっちが良い、こっちが良いと時流に流されてばかりだと、真の花にはなれないのだと思います。
進化という言葉は、なにか格好良さがありますが、時流にのった格好良さではなく、求められるのは地道な深化が伴なった真の進化だと思います。
一週間のお付き合い、ありがとうございました。
来週は畠山先生の担当となります。
来週もどうぞ、よろしくお願いいたします。
友松 誠。