東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

生の中枢

つづき 

 日本の武士が、何故、切腹などというようなことをする必要があったのか、誰ひとりとして理解できないほど、実に単純な物事のために自殺をする。 しかし、武士は生と死は別々なものではなく、その生と死は二つではなくて一つなのだということを知っていたからこその、いわば 「所作」 と云えるものである。 

 

 武士は言う、死もまた生であり、それは手掌と手背のように同じ手のもう一面にほかならない、それはひとつの休息なのだと。 もし意識的に深く呼吸したならば、からだ全体に休息が流れてゆくのを感じることだろう。 それはひとつのリラグゼーション、ひとつの非緊張状態がやって来るのだということを武士は理解していた。 

 

 屋根の上で昼寝をしている猫の呼吸を見たことがあるだろうか、あの軟らかい腹が大きく波打って、悠々たる腹式呼吸をしている。 ちょうど猫のように、お腹が上下し、そして、胸部はまるで呼吸とは何の関係もないかのように完全に不動のままでいる、そのような状況を是非読み取ってほしい。 事実、我々の胸部においても呼吸とは何の関係もないのである。

 

 ところがそこには多くの問題がある、まず死の恐怖! そこに 「肚」 があるために深く呼吸することができない。 そして次の問題は、ちょうどその肚の近くには 「性の中枢」 と呼ばれる生命点が存在している。 ヨーガでは 「ムーラーダーラー・チャクラ」 という 「性」 のセンターである。 しかし、それもまたひとつの恐怖になってしまう。

 

 もし深く呼吸したりすると、その時には性の感情が湧き起こって来る。 特に性行為を怖がっている人達というのは深く呼吸することができない。 もし深く呼吸しようものなら、たちまち抑圧された性感情が再び息を吹き返すのを感じてしまう。 それは自分の血の中を駆け巡りはじめる。 そして、言うまでもなく、それはあるべき姿なのだ。 

 

 「死の中枢」 は 「生の中枢」 のすぐそばにあってしかるべきだ。 「肚」は死の中枢であり、「性」 は生の中枢であるが、この二つの中枢はほんのすぐ近く、お互いに殆んど触れ合わんばかりに隣り合っている。 まさしく同じ手の手掌と手背だ。 性行為の中にあっても死の恐怖と同じように怯えるのはそのためだ。 なぜなら、中枢は連動し、性とともに死が脈打ちはじめるからである。               

 

 操体が 「気もちよさで治る」 というのは、肚に息を通すことで、快感の源である性のセンターへと連動するからだと理解できるのではないだろうか。         つづく

 

 

今年も操体マンダラ、海の日に開催致します。

※「操体マンダラ」とは?

三浦寛が一日、操体の最新情報について語る、操体三昧の一日です。 弟子一同にとっては「師匠孝行する日」。

東京操体フォーラムや、通常の講習では語りきれないことを、

存分に出していただこうという算段です。 今年からはリクエストにお応えして、10時〜21時の開催になります。

昼食会 サイン色紙&ツーショット撮影会

足趾の操法®アドバイザー認定、操体プラクティショナー認定式、

今年より「足趾の操法指導者」認定を行います。

開催日時:2019年7月15日(月)海の日 10時〜21時 ルーテル市ヶ谷センター

★予約制で、当日の参加受付はありません。ご注意下さい

https://www.sotai-miura.com/?p=1314