東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

エクスタシー

つづき

 本当の性的な体験というのは、またひとつの死の体験でもある。 性のセンターが脈打ち、その波動をからだ一面に広げるとき、死の中枢もまた脈打ちはじめる。 すると、その恐怖ゆえ性行為の中でオーガズムに達するのは難しくなる。 オーガズムというのが、ただの言葉になってしまったのはそのためだ。 「生の中枢」 に同調して 「死の中枢」 が脈打ちはじめたその死を受け容れない限り、オーガズムに達することはできない。 

 

 なぜなら、オーガズムとは一切のコントロールを失うという意味で、一切の頭を失うことを意味する。 オーガズムとは、からだのあらゆる細胞のひとつひとつまでもがエクスタシーに打ち震えることであり、「からだの無意識」 の至福に祝うことを意味する。 そのとき、頭はもうからだの支配者でも操縦者でもなくなっている。 操体の施術において、言葉で誘導する 「頭ではなく、からだにききわける」 ということも、からだの快適感覚によってもたらされるものだ。

 

 性行為におけるオーガズムと同じことが、へそを通じて肚に息を通す進化形の操体にも起こる。 操体は気もちよさで治るというが、それは 「死の中枢」 から 「生の中枢」 へと連動することでエクスタシーがやって来る。 快感とは純粋なもの、その快感に種類などない。 性のオーガズムも操体における気もちのよさも、その源は同じ 「ムーラーダーラー・チャクラ」 と呼ばれる 「性」 のセンターにほかならない。

 

 しかしながら、生と死の中枢がすぐそばにあることから、その連動によって性行為のオーガズムを死の一部として、その恐怖から抑圧するようになってしまった。 この世の中で二つの大きな抑圧、それこそが性行為と死である。 ジグムント・フロイトの登場以降、性行為に対して少々の自由が許されてきた。 ところが今度は、前にもまして死を抑圧するようになっている。 

 

 仏陀は死について語る、しかし、最近では誰も死について語ろうとしない、まるでそれが起こらないかのようだ。 誰かが死ぬと、その死体に細工してまるで生きているかのように見せかけている。 それは化粧を施し、色づけされる。 死体が女性の場合だと顔には白粉が塗られ、口紅が施される。 美しい衣装、美しい柩、そして、死人の顔は死ではなく深い眠りについているかのように装っている。 この死の恐怖! 誰もがその顔を覗き込みたがらない。                      つづく

 

 

今年も操体マンダラ、海の日に開催致します。

※「操体マンダラ」とは?

三浦寛が一日、操体の最新情報について語る、操体三昧の一日です。 弟子一同にとっては「師匠孝行する日」。

東京操体フォーラムや、通常の講習では語りきれないことを、

存分に出していただこうという算段です。 今年からはリクエストにお応えして、10時〜21時の開催になります。

昼食会 サイン色紙&ツーショット撮影会

足趾の操法®アドバイザー認定、操体プラクティショナー認定式、

今年より「足趾の操法指導者」認定を行います。

開催日時:2019年7月15日(月)海の日 10時〜21時 ルーテル市ヶ谷センター

★予約制で、当日の参加受付はありません。ご注意下さい

https://www.sotai-miura.com/?p=1314