おはようございます。
物事の成り立ちには、異質なものどうしの調和がある。
これはフィフティ・フィフティの状態のままではなく、どちらかが歩み寄り、比率を変えてつり合いを取るようにして、両方が活きてくる状態になるのが良いと思います。
どちらかが、どちらかを屈服させる状態であれば個性が活きてこないし、そこからの発展は望めないと思う。
この場合50:50だった比率が、90:10とか一方が限りなく0に近くなる比率であり、これではまわりの状況に上手く対応できず、まわりの状況が少しでも変われば破綻に向かってしまう。
まわりの状況に対応した上で、目的に応じて優先して動く側と、その動きを支えるよう違う動きをする側というように、違う個性を発揮しつつ合目的となる、その比率。
その比率は50:50ではなく、ましてや90:10でも100:0でもない筈だ。
その、つり合いの軸も然り。
ふと、橋本敬三先生がよく言われていたという「60点取れればいい」という言葉が浮かんできた。
更に「バランスは100パーセント取らなくてよい、間に合えばよい」という言葉も浮かんできた。
これらの言葉は、調和したバランスの比率にも、当てはまるのではないかと感じた。
誰でも目的を十分に果たしたいと思うだろう。しかし、目的に向かって動く側の比率ばかりを高めても、まわりの状況(空間、時間を含む)を理解しながら、目的行動を支えてくれる側を忘れては、バランスを崩してしまう。
アクセルとブレーキの関係でもあり、一方を外に捻れば、反対側は内に捻ってバランスを保とうとする、そんなつり合いでもある。
目的行動が60点を越えてると感じたら、あまり欲張らず、また頑張らず、自分の我をとおそうとせずに、支えてくれている側の事も慮い、配慮するという事。
また、支えてくれる側をはじめから優位とし、目的行動をそこに合わせていく、というバランスのとり方もあって然りだろう。
橋本敬三先生はこうも言っていたという。
「間に合っていればいいんだ! 間に合っていればよい、という心の豊かさが必要だ。
それが、人間が生きる、ということの品性だ」
一週間のお付き合い、ありがとうございました。
明日からは畠山裕美先生の担当となります。
明日からも、どうぞ宜しくお願い致します。
友松 誠。