その後「私のHPで三浦先生の本を紹介させて頂いても宜しいでしょうか」という手紙を三浦先生に送ったところ、丁寧なお返事を頂きました。
その後、1999年の全国操体バランス運動研究会東京大会でお世話になり、東京操体フォーラムを設立しました。
初期は、三浦先生と私の他にも色々な先生がいましたが、何せ皆社長なので、全くまとまりがつかなかったのですが、私はこの間に、三浦先生の実技を見て
「今まで自分がやっていたのは『快』と言いつつ、実は楽か辛いかだったのだ」
ということに、愕然としました。
そして、当初?の予定通り、三浦先生に改めて弟子入りしたいと思ったのですが、当時の私はすでに受講生はじめ一門を抱えており、当時のパートナー(私の影響で操体をはじめた)には、猛反対されました。
その時の私の悩みは
私が院長であり、私のほうが先に操体の勉強を始めたのに、どうして『何でダンナさんが院長じゃないの?』とか『ご主人のマネして操体をはじめたの?』とか『○○さんの奥さん』と言われるのが、めちゃくちゃ苦痛だったのです(笑)
「三浦先生の講習に参加するなんて、絶対に許さない」とも言われたのも我慢できませんでした。
なので、離婚届けを書いて、母にもハンコを押して貰って「ハタケヤマに戻ります」と言いました。(かなり割愛していますが、背後に壮大なドラマを想像してください笑)
損か得か
正しいか正しくないか、
で考えたら、損だし、正しくないといった方がいいんでしょうが、
私は「原始感覚」に従ったということです。
「このまま相手の言うことを聞いて、一生我慢するつもりか?」という、自分自身への問いかけに答えを出したということです。
多分、そのままだったら、精神を病んで死んでいたような気もする(原始感覚です)のです。
それが8月。私は9月から開講の、三浦先生の定例講習に参加したのでした。
また、操体には、それだけ自分の情熱をかける価値があることもわかっていました。
その前から「塾SOTAI」に来ていいよ、と三浦先生には言われていたので、何回か参加させていただきましたが、そこ(塾)で出会ったのが、半蔵さんと岡村さんでした。
それから2年後、三浦先生と私とで、定例講習とは別に、プロ向けの「臨床講座」というのを開催しましたが、その第一期生として入って来たのが友松さんです(先週のブログ参照。テープレコーダーを回していたのは私です)。
こうやって考えると、今、フォーラムの実行委員をやってる人は、かなり「ふるい」にかけられた、厳選されたメンバーだということがわかります。
その後、改めて三浦先生と私とで、新生「東京操体フォーラム」を立ち上げたのです。