今月から生活リズムが大きく変わったことで意識的に食事の回数も一日一回から二回に変えてみました。
そこで感じたことを書いておきます。
・食事をストレス解消の一つにすると、逆にからだにとってはストレスになる
・食べないことで得られる快もある
・食するもの一つ一つの意味も考えなければ食事をとらなければならない
・食はその有難みを感じなければ、ただのストレス解消となる
・食のコントロールも重要なセルフケアの一つである
からだとの対話の中でこういったことを感じながら生活をしていましたが、からだの調子が良いと感じる時は適度な空腹感がある時でした。
空腹時に得られるからだの感覚というのは「からだが何を要求しているのか?」「どれだけの量を摂ればよいのか?」というのが凄く鮮明にわかります。
その感覚に従っていると、からだが必要としている以上の食事はストレスになり、からだの感覚が鈍っていくような感じがしました。
そうした中で「お腹が鳴る」という現象にとても興味深かったです。
今まではこの現象を「快か不快」どちらかで捉えているかで答えると不快の部類で捉えていたように思います。
お腹が鳴ることで「食べなきゃいけない」「鳴るのが恥ずかしい」というような感じで、それを一つの指標にして食事をしていたことが多かったです。
しかし、そういった時に暫くそのマを味わっていると、それまで聞き分けられなかったからだの情報が入ってくるようになりました。
特に呼吸の変化というのは面白く、特に吸気を取り入れた時に入る量と質がいつもと違う感じがして呼吸そのものにも味があるような感じがしたのでした。
こういった体験をすると、もしかするとそれまでの自分は「食」の営みの間違いからからだの声を聞き洩らしていたことが大いにあるように思いました。
何かからだのことで悩まれている方がいましたら、あえて空腹感を愉しみ、その中で得られるからだの情報に素直に委ねてみることを試してみてほしいです。
www.tokyo-sotai.com2021年春季東京操体フォーラム開催
2021年4月29日(木)昭和の日にオンライン・会場で開催致します。
テーマ「操体法クロニクルズ2~呼吸とセルフケア特選~(仮)」