特に初心者が操体を学ぶ場合、 いきなり 「操体法」 ではなく、 「操体」 とは何か、を最初に知ることが求められる。 操体の理論は 「快適感覚につきる」 ということを論理的に知ることは勿論、さらにそれを、身をもって体験し、理解する必要がある。 それには 「からだの感覚」 というものに焦点をあてることが重要なポイントになる。
ここで 「からだ」 と表記する操体における言葉の表示には、ひとつの決まりごとがある。 それは 「肉体と精神」 や 「身体と心」 というように、「肉体」 あるいは 「身体」 と 「精神」 あるいは 「心」 の二つに分けることを操体では基本的にしない。
我々の体で、生命全体の動きを司る側面を 「身体」 といい、思考をつかさどる側面を 「心」 と表現している。 そして、その両方を媒体しているのが 「呼吸」 であり、生命に含まれる一つのものが 「からだ」 である。 つまり、肉体と精神を一つのものとして捉えたものを、操体においては 「からだ」 とひらがなで表記しているのである。
そして次に 「感覚」、それは肉体と精神を一つにした 「からだ」 の 「感覚」 のことを言っている。 この感覚というのは肉体だけで、また精神だけで考えることでもなく、肉体と精神を一つにして感じることに意識を向けることなのである。 要するに考えることではなく感じること、それが操体でいう 「からだの感覚をききわける」 ということだ。