自分が思い描くイメージ、ヴィジョン。
そういったものを先行させるのとはまた違って、
例えば、からだの無意識にゆだねる、というところから自らの振る舞いを描いていく。
これも最近になって、また操体から教えていただいていることのひとつです。
人間には、強く願ったり、言葉にしたり、思い描いたりすることで、物事を具現化、現実化する不思議な力がある様に思います。私自身も、こういうことの力を、知らず知らずのうちに(また途中からは意識的に)お借りしてきたように感じていますが、時に、こういった姿勢は、自分自身に対して大きなプレッシャーとなってしまうこともあるように思います。
程よいプレッシャーはむしろ大歓迎ですが、やりすぎてしまうことが続くと「消耗」に繋がってしまう。その辺の塩梅については、実は私自身もまだ手探りの状態です。
どんなことを思い描いて、実現しようとしているか。
そういったことも関わっていることかと思いますが、少し、そのプロセスを変えて、自分から何かを発信するのをいったん落ち着けて、まず自身の置かれている状況などを受け取るところからスタートする。
いま、この状態のなかで、それを最大限たのしんだり、生かしたりするためにどんなことができるだろうか。そこから、思い描くことのエネルギーを循環させていく。意識はあとからついてくる。
最近の操体の臨床を受けながら、まだ言葉になれていない世界の中で、
こういった流れの在り方もあるよ、というのを、間接的に学習しているような気がしています。