このブログを書く前に以前の自分の日誌を読み直していたのですが、ある時から自分のからだとの向き合い方や学びの姿勢が大きく変化したときがありました。
ノートを見直すと以前の自分は師や先輩のやっていることを一生懸命トレースし、再現性を強く求めていた時期があったように思います。
きっと操体の実践者の誰よりも技術、テクニックを身に付け臨床も「自分が治してやろう」という意識が抜け切れていなかったのかもしれません。
ただそんな意識もある日を境にからだとの対話を重視するようになり、やがて自分を生かしてくれているものに意識が向くようになりました。
それは人が生きることにおいて技術やテクニック以上に大切なことがあるという気付きでもあります。
呼吸にしても、食事にしても、動くことにおいても普段何気なくからだがしてくれていることは本当にありがたいことなのですよね。
そのからだがしてくれていることに意識が向けられるか否か、そして本当にありがたいものとして受け入れられるのかが操体の本質を知る上で大切なことです。
私のことに関しては自分が信じていた学び方の間違いに気が付けたこと、そしてその間違いを素直に受け入れられたことが自分が変れた大きな要因のように思っています。
現在になってみると、その素直さがなければこの学びを続けられていたかは定かではありません。
そのからだに対して素直さを学習することが操体の臨床の核でもあり、私が操体を薦める理由の一つでもあるのです。