おはようございます。
実行委員リレーブログ、今週は友松の担当となります。
今回のテーマは「アートについて」ということでリレーしています。
アートというと、芸術という概念よりも革新性とか自由さとか、ジャンルの拡がりを感じる。
その自由さやジャンルの拡がりがあるから、誰でも何らかのアーティストと成り得る。
しかし、それは自己満足だけのものであれば趣味であり、アートというからには、やはり、それに触れた人が何かしら感じて、心動かされるものでなければならないと思う。
それは、ある種メッセージ性を感じるし、意志の宿りみたいなものを感じる。
アートという表現のメッセージが、どう受け止められ、その人のなかでどう生成されていくかで、アートの価値は決まってくる。
そして、価値あるものほど拡がりをみせる。しかし、その拡がりには時間と空間の係わりが関係し、その時代の世相の影響を受け、価値あるものが評価されずに埋もれてしまう事もある。
それでも、本当に良いものは生き続ける。
表現物としての作品は、次第に朽ちていっても、その作品に触れた人のなかで生成され、記憶に刻まれたものは生き続け、その人の発する言葉のなかにも反映され、拡がりをみせるようになる。
それがアートなのではないかと思う。
流行を意識して商業主義的につくられたものは、その時は関心を引き拡がりもみせるだろうが、流行が去れば見向きもされなくなったりするだろう。
それでは、アートとは呼べないのではないかと思う。
操体も、その時の世相、流行にのって発展させるというものではない。
創始者の橋本敬三先生は「私は4、50年先の事をやっている。今理解されなくともいい」というようなことを仰っていたと聞く。
橋本敬三先生のやっていた事は、効果はあっても世間からはなかなか認めてもらえず、ようやく注目を浴び始めたのは70歳をすぎた頃だったという。
三浦寛先生が弟子入りした頃は、まだ操体法という名称すらもなく、そのことをお聞きすると「名称なんかどうでもいい、真理が大切なんだ」と意に介さなかったという。
その時の評価ではなく、永遠の真理と向き合い、探求し続ける。これもアートだと思う。
2021年秋季フォーラム
2021年11月23日(火)勤労感謝の日 ハイブリッド開催