おはようございます。
痛みやつらさを識る必要はある。
これは、昨日書いたことと矛盾するようですが、大切な事だと思うのです。
今回のブログのテーマが「修行」と聞いた時、白装束で滝に打たれる場面が、ふと思い浮かびました。
この滝行にしても、痛みやつらさが感じられるから意味があるのだと思います。
もし、たいした事ではなく「こんなのへいちゃらだ」というものであったら、やっている事が次に、他の場面に活きてこないと思えるのです。
感じる事が重要。
自分の身体に痛みやつらさを与える経験をすればいいのではなく、それをどう感じるか。
これは、臨床家には重要な事だと思います。
人の痛み、つらさがわからなければ丁寧な接し方は出来ない。
だからといって、同じ様な痛みやつらさを経験しようと自分自身を傷つけるような事をしていては、自分の身心が持たなくなる。
大事なのはどう感じるかであり、どう感じ取れるようになるかも修行なのだと思います。
また、感じ方に焦点を当てれば、特別なシュチュエーションなど設けなくとも、日常生活そのものが修行の場となるのではないでしょうか。
2022年春季東京操体フォーラム
2022年4月29日(金)祝日
ハイブリッド開催(会場参加は、一般社団法人日本操体指導者協会会員優先)