おはようございます。
今回のブログのテーマは「修行」ですが、パソコンで「しゅぎょう」と入力し、漢字変換すると「修行」の他にも「修業」というのもでてくる。
修業だとすれば、特定の技術を身につける為の意味合いが強くなってしまう。
しかし、操体は技術だけ習得しようとしても、思いどおりにはいかない。
見よう見まねでやってみたら、ビギナーズラックのようなかたちで凄い効果があったという話はよく聞く。
しかし、いつも柳の下にドジョウがいるわけではない。
操体法が優れたものであっても、技術・テクニックだけの習得を目指しても、そのうち行き詰まる。
操体の臨床(操体法)は、独特の哲学、生命観を含めた操体というバックボーンがあってこそ真価が発揮される。
技術・テクニックの習得だけを目指した業は、アンコの入っていないアンパンみたいなもので、それをアンパンと称して店頭に並べても、最初のうちは買ってくれる人はいるかもしれない。
しかし、そのうち生業(なりわい)そのものが成り立たなくなってしまう。
正しい行いを身につけてこそ、業が成り立つ。
2022年春季東京操体フォーラム
2022年4月29日(金)祝日
ハイブリッド開催(会場参加は、一般社団法人日本操体指導者協会会員優先)