東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

表裏「いったい」について①

石田実行委員から受け継いで一週間、岡村が担当です。

 

「おもて」と「うら」。

その言葉を「息」で、ゆっくりと、ゆっくりと味わっている。

味わいのなか、ワタシ自身に「からだ」がつぶやいた言葉。

 

おまえさんに、五十年以上も付着していたモノ。

日々の睡眠で落としているか、目覚めているのか、と。

 

さてさて、どちらが「うら」でどちらが「おもて」なのだろう。

日々「間」に合うのは、起きている時間か、眠っている時間か。

 

「からだ」の大好物、睡眠の落ちる目前の「間」も至高の快。

ワタシ自身に50年以上も付着していた、様々なモノゴトの整理。

 

 

睡眠中に描きたくなる景色もある。

それを「からだ」が、求めてくる感覚に馴染む恍惚の人となる。

 

睡眠はどんな人間も絶やさず、それはとても「からだ」優しい。

 

何かを眺めるでもなく、会話もせず、目的もなく、ただ感じる。

 

 

何もしないことが退屈であるとすれば、それは普通になる。

そして、そこには人工的な美しさが存在していない。

 

睡眠の間を「うら」とすれば、美しい「おもて」があるのだ。

ならばそれは、両極に位置するもので、しかも紙一重。

 

天国と地獄は、美しい睡眠を通して感じている。

人生の実は、表か裏か両極に位置しうる「間」にある。