石田実行委員から受け継いで一週間、岡村が担当です。
「おもて」と「うら」。
その言葉を「息」で、ゆっくりと、ゆっくりと味わっている。
味わいのなか、ワタシ自身に「からだ」がつぶやいた言葉。
おまえさんに、五十年以上も付着していたモノ。
日々の睡眠で落としているか、目覚めているのか、と。
さてさて、どちらが「うら」でどちらが「おもて」なのだろう。
日々「間」に合うのは、起きている時間か、眠っている時間か。
「からだ」の大好物、睡眠の落ちる目前の「間」も至高の快。
ワタシ自身に50年以上も付着していた、様々なモノゴトの整理。
睡眠中に描きたくなる景色もある。
それを「からだ」が、求めてくる感覚に馴染む恍惚の人となる。
睡眠はどんな人間も絶やさず、それはとても「からだ」優しい。
何かを眺めるでもなく、会話もせず、目的もなく、ただ感じる。
何もしないことが退屈であるとすれば、それは普通になる。
そして、そこには人工的な美しさが存在していない。
睡眠の間を「うら」とすれば、美しい「おもて」があるのだ。
ならばそれは、両極に位置するもので、しかも紙一重。
天国と地獄は、美しい睡眠を通して感じている。
人生の実は、表か裏か両極に位置しうる「間」にある。