「からだ」は、
人を選ばないし、急かさない。
私(人間)を支配しないし、干渉しない。
いつでも、それとして、そこにあって、
だれがやってもそうなるってことを教えてくれる。
計測できない「間」でゆっくり「からだ」と対話できる。
目に見えるのがおもてで、
目に見えないのがうら。
そんなふうに決めているのは、
私(人間)の意識関与。
「感覚=表現」であらわれてくる「からだ」は、
すきとおっているから、
うらもおもてもあって、
うらもおもてもなくて、
吸気はすき「間」にすーっととおる。
(からだ主語)
「からだ」とお付き合いいただき感謝です。
明日からは寺本さんです。
どうぞ、お愉しみに。