「感じとろう」としているときは、「からだ」と向き合っていても、その主体は「自分」。
届いてくる「からだからのメッセージ」は限られたものになってしまう、というよりも、ほんとうは届いているのに、それに気づけない状態になってしまいます。
師の指導の中、都度「からだ」との向き合い方が修正されていく。
そして再び「からだ」と向き合うときに感じられること。
「からだ」は意識下でコントロールできる範囲を遙かに超えた存在であるということ。
その「からだ」から感じとるということは、自分の意識で色をつけずに、そのままいただくという姿勢であること。
そこにあるのは「からだ」に対する素直さです。
「感じとろう」とする自分の意識はその素直さを曇らせてしまう。
意識して感じとろうとすることと、感じられたことが意識になることは、全く違います。
何度もそういったことを体感し、今感じられること。
「からだ」に対して素直になるということは、「自分」に対しても素直になるということ。
「自分」に対して素直になるということは、自分の要求を満たすために自分勝手に振る舞うことではありません。
むしろ閉ざされた自分の意識から解放されて、流れの中にあるということに立ち還らせてくれます。
具現化していく想いとビジョン、そして「からだからのメッセージ」。
学びにおける「素直さ」を改めて考えてみると、その意識の向く先も変化してくると感じられるのです。
(続く)