はじめまして、森田珠水と申します。東京都出身、30年来の蒲田っ子です。さそり座O型です。フォーラムではビデオカメラ担当させてもらってます。
三浦先生、1週間ブログ更新お疲れ様でした。橋本先生との思い出や写真から、風呂屋でのドッキリ体験まで貴重で幅広いお話、ありがとうございました。
私も負けずに(?)のびのび書くつもりです!みなさま、7日間お付き合いよろしくお願いいたします。
第1日目の今日は、操体と出会い、治療者として考え方がどう変わったかを書こうとおもいます。
私は東京大田区で操体健康医療研究所(ひとり所長…)、森田珠水鍼灸治療院を開業させていただいております。
鍼灸治療院といっても、今では操体しかやっておりませんが、そこにいたるまではちょこっと遠回りしました。
実家は薬局ですが、薬剤師は目指さず、大学は臨床心理系のゼミを専攻しました。しかしカウンセリングで他人を治すことの大変さに圧倒され、版画と額縁の会社に数年勤め、その時バイトに来ていた指圧専門学校の学生さんの影響で再び鍼灸学校へ入学しました。
もともと直接からだに触れる手技療法に興味があったため、卒業後、指圧中心の鍼灸マッサージ治療院で働きました。主に健康な方々を指圧している分にはそこそこ満足していただけるようでしたが、重篤な疾患の方、高齢者で寝たきり、気質的変化の大きい方を目の前にすると「私が治さなきゃいけないのに治せない」ジレンマがあり、今思うとかなり仕事に対しストレスを感じていました。
週に2,3回そういう気持ちでお宅に通うのは精神的によろしくないですね。もちろん患者さんにはもっと迷惑です。
患者さんが治療を受けるのは例えば1週間に1時間として。残りの時間にその人自身がどう生活するのかが健康になるには必要だと思い、リハビリや体操など、楽しく続けられるものがないだろうかと探していました。しかし、三日坊主な私の口から、人様に「筋力をつけるのに1日10回○○をしてください」とはいえません。
そんな時に「操体道入門」(中川重雄著)を通して操体を知り、橋本哲学に興味を持ち、畠山先生のHPにたどり着いたのです。
そうです。福田氏、草階氏と同様、私にも2人の師匠がおります。
私も畠山先生のもとで学んでいるなか、ある時に、三軒茶屋のドトールにて、三浦先生にお会いさせていただいたのでした。私はたしか、恐れ多い心持で何を話したらいいかわからず、ちゃんと目を見て会話できなかったように思います。
ビビリーで、心弱かった(過去形ですよ)私を叱咤激励&温かい目で見守ってくださった三浦先生、畠山先生に感謝しております。
こうして第1分析、第2分析、第3分析の臨床とともに、創始者橋本敬三先生の、操体という実践哲学を学ぶ場に到着(?)したのでした。
で、やっと本題ですが、操体に出会って、臨床を変えて私の中で変わったことは、一言で言うと、人間のからだってすごーい! ってことです(小学生か…)。からだと共にこころも一緒に変わっていく様子を見させていただくとこちらが感動してしまいます。
小さい時から、治療の空気の中にいたはずなのに、からだという自然(無意識)にはこんな力があったのか!という驚き。これは、筋力の有無、年齢、とは、あまり関係がなく感じられます。
施術者=治療者だった時には、「自然治癒力」の言葉を何度も口にしていたのに、その力がどんなものか感じられていなかったです。
みんなちゃんと治る力ってもってるのですよね。当たり前なことなのに…。 気づくのに遠回りしたようです。
今まで「治してやろう」って思ってた自分が恥ずかしくなりました。自然治癒力を充分に発揮させたいなら、からだにお任せしたらいいじゃないの。今なら、そう言えます。
そのへんが操体に出会って、意識が変わったところじゃないでしょうか。ほかにももっとありますが、それはこれからおいおい書いていきます。
春の東京操体フォームが終了してまだ3週間しかたっておりませんが、すでに遠い過去のようです。2日間にわたり、6人の方が「なぜ操体を選んだか」について語ってくださいました。実行委員それぞれの経緯は異なるのに、
こうして同時期に操体を学ばせていただけているのも、ありがたい橋本先生のお導きでしょうか。
学ぶということにおいて、今が一番楽しく充実しています。からだという自然法則を学ぶことに感謝できる日が来るなんて予想もしてなかったですよ。
私自身も元気になって、エネルギーが上がってきてるのがわかります。自分で脈をみても違うのですよ。
うーん、ありがてえ。 ししっ(手鼻)。
森田珠水(もりたたまみ)