前日の続き
潜在的な宇宙エネルギーであるクンダリニーがひとたび上昇しはじめると、多くの病気が発病しはじめるかも知れない。というのも生物学的には全身をかき乱してしまったことになるからだ。クンダリニーの上昇に伴い「頭熱足寒」の状態になると循環障害が起こってくる。通常、人の体温は例外なく心臓を中心に37℃前後あり、上半身の方が高く、下半身は低くなっており、特に足もとは31℃以下になっている。そこへ「頭熱足寒」になるというのは、よりいっそう下半身の体温が低くなってくる。病理学的には低体温によって血管が縮み、抹消部が循環不全に陥り、動脈血流の減少や静脈血のうっ血が起こってくる。俗に言う血のめぐりが悪くなるのである。こんな状態がある程度の期間続くと、抹消部の毛細血管の中に血球が溜まって血流が遅くなり、ひどくすると止まりそうにさえなる。西洋医学では「血球スラッジ」と呼んでおり、東洋医学では「悪血」とか「瘀血」と言っている、また民間の素人医学の方では「ふるち」と呼んでいるものである。この血液というのは、からだ全体の細胞に養分や酸素を供給し、炭酸ガスや老廃物を運び去るといった働きをしているのであるが、血液の循環が悪くなると細胞が機能低下を起こしたり、細胞の機能が狂ったりする。ひどくなると壊死状態に陥る、つまり細胞が死んでしまうのだ。これが内臓の中で起こると、機能低下をきたすばかりか、病的物質の産出である結石や免疫力の低下、あるいは潰瘍が形成されるとか、腫瘍細胞の発生などにつながっていくのである。
仏陀はひどい病みようで死んだと言い伝えられている。ジャイナ教のマハーヴィーラもひどく病んで死んだと言う。聖者ラーマナ・マハリシはガンで死んだし、同じくラーマ・クリシュナもガンになって死んだ。その理由は上述したように生物学的な組織全体がかき乱されてしまったことにある。ほかにもいろいろと言われてはいるが、そういった理由は根本的なものではなく馬鹿げている。生理的で自然なエネルギーの流れというのは下の方に向かう。霊的、精神的な流れは上方に向かう。そして、健康的な肉体組織全体の流れとしては、そもそも下の方に向かうようにできている。
クンダリニーやチャクラは肉体の中にあるのではなく、エーテル体という精気体に属するものである。ただし、肉体のなかにはそれらに対応する部位がある。それはちょうど愛を感じるとき、自分の胸のところ、ちょうど心臓あたりに手をあてるようなものだ。何も心臓に「愛」というようなものがあるわけではないが、心臓は「愛」に対応する肉体上の部位になっている。愛を感じて胸に手を当てたなら、それはエーテル体に属するチャクラに手をあてているということになる。その部位はほぼ心臓に平行しているアナハータ・チャクラと言われているものである。
クンダリニーは、それ自体では生命力ではなく、むしろ、生命力のための特殊な通路と言える。しかし、この生命力はほかの道を通ることもできる。必ずしもクンダリニーを通り抜けることを必要とはしない。クンダリニーを通過しなくても解脱に至ることは可能である。ところが、クンダリニーが何故これほど重要視されるのかというと、解脱に至る最も短い道であるからだ。この生命力がクンダリニーを通り抜けるときには、チャクラは振動し、開花しはじめる。このチャクラを図象化すると、花弁で表わすのは、まさに開花というにふさわしいからである。生命力のエネルギーがチャクラに至るが早いか、チャクラは生き生きしてくる。このチャクラの意味するサンスクリット語の正しい訳語は「車輪」という意味である。チャクラをよく「中枢」という言葉で訳しているが、あまり正確な表現ではない。「中枢」とは定着していて不動的な意味合いを持つが、チャクラは反対に動的なものである。言うならば、動く中枢とか回転する中枢と言った方がより正確である。チャクラは生命力が到達するまでは、ただの「中枢」であり、そこへ生命力が流れ込んだ瞬間にチャクラとして存在しはじめるのだ。こうなると「中枢」ではなく、回転する車輪ということになる。各車輪は新しい進化したエネルギーを生み出していき、そのエネルギーがさらに進化した次のチャクラを回転させるため再活用されていくのである。生命力が上方のチャクラを通過するにつれて、チャクラはますます活気にあふれ、生き生きとしてくる。クンダリニーという通路を生命力が通り抜けてゆくのであり、その生命力は背骨の根底にある性の中枢「ムーラダーラ・チャクラ」に蓄えられている。これを性エネルギーとして使うと、生物的生命を生み落とすことになるが、その同じエネルギーが上昇したら、クンダリニーという通路が開くのである。
ここで注目したいのが、この生命力を性エネルギーとして使う場合、種族保存という動物本能からではなく、「歓喜」という快感覚を味わうこともできるということだ。タントラという左道密教では、性のオーガズムから恍惚の忘我へ、そして「快」そのものとなって性エネルギーを昇華させるというのである。何も「頭熱足寒」という不健康状態に陥ることなく、解脱という請願成就を可能ならしめることができると、タントラは説いている。仙道の房中術も手法は違えど、目的とするのは同じである。操体もまた、この類い無比なる「快」を根本に据えている。操体の深化、進歩に大いに期待されるところである。
一週間にわたって気ままにお騒がせしてしまった。このあとは、生命エネルギー漲る小松実行委員にバトンを譲りたい、ではよろしく。
8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体セミナー in スペイン」開催