東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

文明の生態史観 その2

みなさん、おはようございます。今日はブログの5日目。
だんだん寒くなってきました。もう京都・美山町では雪囲いをしている頃でしょう。
もうそろそろ「ゆきんこ」が飛び始めているのでは・・・
などと思いを馳せながら、昨日に続き「文明の生態史観」を、ご紹介したいと思います。

アフガニスタン・インドの旅行の末、梅棹先生を襲った日本に対するイメージのギャップ。これは、様々なジャンルの専門家と知的な刺激をかわしながら、全く異質の文化をもつ国々を探索したための、必然であり、我々一般人にとってありがたい示唆をいただくまでの胎動期だったのです。

梅棹先生は、2000年も前の思想や歴史を今も相変わらず学んでいるインドや、一夫多妻制のイスラム教国の生活に触れ、日本の特殊性に気づかれます。
明治以来の近代化は、日本では「西洋化」などと言われてはいますが、これはなされるべきしてなされたもの。当然のなりゆきとして近代化されたと梅棹先生は思われたのです。
つまり、インドのような国が近代化に際してのりこえなくてはならない問題は山積み。
カースト制、人口過剰、貧困・・・日本はこれらの国とは、まったく違うあゆみをしていたのです。

そこで、この特殊な国・日本をどのような座標軸でみるか?それは、世界をどうみるかと裏腹の関係になります。
本のなかで、
「現代の世界という空間のなかで、日本がしめている位置の、正確な座標を決定すること。それが当面の課題である。」
と述べておられます。

それでは、どのようにみるか。
この世界を旧世界と新世界に分ける。
新世界は、南北アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド南アフリカ
旧世界とは、アジア、ヨーロッパおよび北アフリカまでふくむ地域。
ここで爽快なのは、新世界は無視。
理由は「かんがえがまとまらない」とのことでしたが、歴史的にみれば、表面的に過ぎないと判断されたのでしょう。

そして座標軸として、「文化の機能論的な見方」としました。
つまり、文化を歴史的な由来・系譜的にみるのではなく、どのように組み合わさり、どのように働くかという機能に焦点を合わせてみたのです。
本の中では、
「共同体のもつ文化を、つみ木にたとえよう。ひとつひとつのつみ木の色は、いろいろあるかもしれない。しかし、個々の木片の色は、つみあげた構築物の形とおおきさには関係はない。」
素材はなんでもよい、ただそれをどのように構築して、何を作り上げるかが機能である。そして機能をどのように展開していくかが、文化・デザインであると述べておられるのです。

この座標で、日本をみるとどうなるか・・・高度の近代文明国家。

「いちいち文明の特徴をあげるまでもないが、たとえば、巨大な工業力である。それから、全国にはりめぐらされた膨大な交通通信網。完備した行政組織、教育制度。教育の普及、豊富な物資、生活水準のたかさ。たかい平均年齢、ひくい死亡率。発達した学問、芸術。」と述べられています。
たしかに、日本はとんでもない文明を誇っている国。
この本が出版されたのは、今から40年以上も前のことです。その後現在に至るまで、加速度的にその機能は進化し続けています。
それでは、この日本と同等の文明を保っている国は・・・旧世界では、ヨーロッパのみです。
そこで、日本とヨーロッパを第一地域とし、それ以外の旧世界を第二地域とします。
アメリカ大陸、オーストラリア大陸を除いたユーラシア大陸と一部のアフリカ大陸の地図上では、この第一地域は東の端と西の端に、ぽつんと存在しており、第二地域はユーラシア大陸を斜めに大きく覆っています。

さてこの二つに分けられた地域の共通点や特徴はいかに・・・これは明日ご紹介いたしましょう。

では ごきげんよう!ありがとうございました。


佐伯惟弘